コラム 2025.09.08

【コラム】FWが体を張り続ければ、結果はついてくると信じてやってきた。

[ 明石尚之 ]
【コラム】FWが体を張り続ければ、結果はついてくると信じてやってきた。
187センチ、100キロのバックロー。U20日本代表の経歴を持った(撮影:BBM)

 筆者がラグビーの世界に足を踏み入れたのは2017年。
 2015年でも、2019年でもない。

 筑波大の学生新聞に2年時から入り、記者としての活動を始めた。最初の取材先が、偶然にもラグビー部だったのだ。
 茗溪学園で福田健太(現・東京SG)の同級生だった先輩に誘われた。

 同期のひとりは土谷深浩(つちや・しんこう)。クボタスピアーズ船橋・東京ベイに進んだフランカーである。

 サッカーの影響で「FW=点取り屋」のイメージを持っていた筆者に、ラグビーのFWとはなんたるかを教えてくれた。
 7、8年前のインタビューだったが、印象に残っている言葉があった。

 試合中にスコアボードをどのくらい見るのか。何気なくそう問うたときだった。

「FWは80分間、走り回って、タックルして…。(試合終了の)笛が鳴ってスコアボードを見たときに、勝っていればそれでいいんだよ」

 久しぶりに当時のことを聞くと、本人は「そんなこと言ったっけなあ」と照れる。
 確かに、筆者の記憶の中で脚色が加わっているのかもしれない。でも、大筋は変わらないだろう。

 あらためてこう語った。

「スコアは10番やキープレーヤーが気にすればよくて、俺らFWはとにかく当たって前に出る。相手を前に出させないようにタックルする。そうすれば、必ず結果はついてくると信じてやってきたから」

 福岡県出身。かしいヤングラガーズを経て、福岡高校に進んだ。
 ここがプレースタイルの原点だ。

 森重隆監督から「魚雷のようにタックルしろ」と教えられ、牟田口享司先生からもこう諭された。

「ラグビー初心者もいるチームがヒガシみたいな格上のチームに勝つには、低いタックルでどんどん前に前に出ていくしかない。体を張ってプレッシャーをかけないといけない。そう叩き込まれた3年間だった」

 筑波大、そしてスピアーズでも体を張り続けたシンコウが、現役生活にピリオドを打った。

 9歳から始まったラグビー人生を振り返ったのは6月末。「18年やってきたからね…。ラグビーのない生活が考えられない」が第一声だった。

「心の中心にあったものがポンとなくなった。納会の直前はチームを離れるのがすごく嫌だったね」

 中学、高校、大学、社会人と、カテゴリーの変わる節目では「何か別のことをしてみようかな」と一度は考えたという。
 それでも続けてきたのは、仲間の存在があったからだった。

「誘ってくれるやつがいっぱいいた。そこまで言うのなら、やってみるかと」

 高校時代の仲間とは、福岡に帰省すればいまでも集まる。思い出話に花を咲かせる。
 大学時代の同期とも、結婚式のたびに楽しい夜を過ごした。

「ラグビーのプレーはもちろんだけど、オフフィールドがめちゃくちゃ楽しかったんよね。スピアーズに来たのも大正解だった」

 特に親しかった仲間を聞けば、先輩では古賀駿汰、ローカーが隣の青木祐樹、ゲーム仲間の立川理道、松井丈典、後輩では二村莞司、福田陸人の名前が挙がった。

「先輩も後輩も慕ってくれて。同期もみんな良いやつだった」

 クボタでは入団1年目にトップリーグデビューを果たし、2年目は2試合に出場。しかし、翌シーズンから3年間はプレータイムを得られなかった。

「気持ちとしては、やりきったが8割、もう少しやれたんじゃないかが2割、かな」

 2024-25シーズンの終盤。5月のゴールデンウィーク明けだったか。
 前川泰慶GMから「明日の練習後に時間ありますか?」とLINEで連絡が入った。察した。

「3シーズン出られなかったから、すっと受け入れられた。バックローには外国人選手がどんどん入ってきて、ローテーションができあがっていて厳しいなとも感じていて。ここ2年は結構調子が良くて、良い評価ももらっていたけど、結局1試合も出られなかった。それがメンタル的にめちゃくちゃキツかった」

 在籍5年にして、バックローでは社員選手で最年長。「若手も入ってきて、肩身が狭くなってきたとも感じていた」。

 今季はプレーシーズンで眼底下骨折を経験したことも大きかった。初めて手術を伴うケガだった。

「目がおかしくなって、一時期は同じ人が2人見えた。それで初めてラグビーに対して恐怖が芽生えて。復帰しても、オーバーやジャッカルにいこうとしてもなかなかいけなかった」

 払拭しようと思っても、これまでのように激しさを出せない。「できない自分」に嫌気がさすこともあった。

 それでも、最後まで努力は続けた。原動力に「応援してくれる人の存在」を挙げた。

「地元の友だちはお前が出てる試合を見に行きたいと言ってくれていたし、嫁さんもいつも見てるよと声をかけてくれた。ファンの方にも試合会場で声をかけてもらってすごく嬉しかった。そういう人たちに自分がプレーしている姿を見せたかった」

 試合のノンメンバーは、週末の対戦相手のコピーをする。メンバーにプレッシャーをかけ、アピールする。その気持ちを常に持った。

「ノンメンバーがチームになってみんなで頑張るのがクボタの良さ。ラインアウトで競ったり、スティールできたらめっちゃ喜ぶ。そこは俺らも譲らずにいこうと」

「クボタに入ってよかった」と繰り返し言った。実は入団前に練習の見学をしたことがなかった。
「前川さんがすごく良い人で、この人についていけば間違いない」と感じた。間違っていなかった。

 スピアーズの良さである「アットホーム」は、フラン・ルディケHCの影響が大きいとみる。
 チームがいかに家族になれるかを訴え続けていまがある。

「外国人選手もみんなそれを理解しているし、試合に出られない選手でも、どういう雰囲気で過ごせば全員が一丸となって優勝に向かえるかをみんなが考えて動いていると思う」

 その真骨頂が見られたのは、2シーズン前だ。
 優勝した翌年で、チームは6位に沈む。ただ、苦しい日々が続く中でも明るくいられた。

「『後ろのドアを閉めないと、前のドアは開けれない』とフランが言ってくれた。(負けた)前回の試合から学びはもらうけど、次の試合に向かうときは後ろのドアを閉める。閉めたら振り返るのはおしまいだと」

 シンコウにとって最後にクラブキャップを得た試合は、4年目のクロスボーダーマッチだった。
 スーパーラグビーのチーフスを相手に約15分間、体を当てた。

「久々の大観衆の中で、ジャージーを着て試合に出られた。チーフスのフィジカルがめちゃくちゃ強くて、でもそれが楽しくて。ラグビーやってるわって。あの光景はいまでも覚えてる」

 現在は東京本社の法務部に所属し、与信管理業務をおこなっている。
 初めて訪れたラグビーのない時間の過ごし方に悩む。「マジで何しよっかなと思ってて」と笑う。

「嫁さんと旅行に行ったり、何か趣味を見つけられたらなあ。あ、クボタの試合は絶対に見に行くよ」

 長い競技生活、お疲れ様でした。

【筆者プロフィール】明石尚之( あかし ひさゆき )
1997年生まれ、神奈川県出身。筑波大学新聞で筑波大学ラグビー部の取材を担当。2020年4月にベースボール・マガジン社に入社し、ラグビーマガジン編集部に配属。リーグワン、関西大学リーグ、高校、世代別代表(高校、U20)、女子日本代表を中心に精力的に取材している。

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