能登で活躍する『災害ラガーボランティア』。活力の源は「ありがとう」

被災地・能登で、ラグビー経験者によるボランティア集団が活動を続けている。
2024年、大地震と豪雨の“二重被災”を経験した能登半島。輪島市にある飛鳥時代(651年)に創建された古刹「岩倉寺」は、二重被災によって築500年の本堂や庫裏が全壊した。
その岩倉寺の住職である一二三秀仁(ひふみ・しゅうにん)さんが、『災害ラガーボランティア』の働きぶりをこう評していた。
「本当に助かってます。5人くらいのボランティアでも『10人、20人で来たの』というくらい作業が速かったですね。金庫だって一人で運び出してましたから。参加者はみな、ラガーマンだと聞いて、納得しました」
ラグビー経験者による被災地支援活動『災害ラガーボランティア』が2025年8月、石川県輪島市の曽々木地区で通算10回目のボランティア活動を行い、主に東海・関西地方から13名が参加した。
3日間のボランティアでは、初日に岩倉寺にて仏具の捜索を行い、2日目は輪島市を代表する祭りの一つである日本遺産「曽々木大祭」の準備を手伝った。祭り当日には地元青年団らに混じり伝統の巨大灯籠「キリコ」を担ぎ、伝統文化の継承に助力。最終日は祭りの後片付けに加わった。
主催するのは、東日本大震災の支援活動としてスタートした一般社団法人「フライキプロジェクト」だ。
代表は本郷高-法大-明治生命(現明治安田生命)でプレーした園部浩誉さん。2019年W杯では釜石開催を大量のフライキ(大漁旗の通称)で盛り上げた。
「東日本大震災をきっかけに始まったフライキプロジェクトは2019年ワールドカップでひとまず区切りとなりましたが、日本は災害が絶えない『災害大国』。『ラグビー経験者が集まってボランティアができないか』というアイデアは常にあったんですが、どうすればよいのか分かりませんでした。そんな時に知り合いに誘われて能登のボランティアに参加することができ、是非これを継続させようと友人などに声をかけながら不定期開催を続けてきました」(園部さん)
当初2名だった参加者は着々と増え、今年7月には過去最多の24名が参加。その時に見たラグビー経験者のチームワークには園部さんも驚かされたという。
「輪島市にボランティアを主導されている佐渡忠和さんという方がいます。震災後に広島県から輪島市に移住して支援活動に尽力されている方なんですが、その佐渡さんから『岩倉寺の階段をつくってほしい』と依頼されました」
「みんな土木経験はなかったんですが、僕が最初に『みんなで考えてやろう」と言ったら、24人がそれぞれやるべきことを考えて、2時間くらいであっという間に作った。あれはかっこよかった。すごかったですよ」(園部さん)
その「凄かった」岩倉寺の階段作りの様子は、フライキプロジェクトのYouTubeチャンネルで確認することができる。
ボランティアのリピーターは多い。1952年創部の40才以上のクラブ「東惑倶楽部」(愛知)でプレーする服部容久さん。基本的に宿泊費と高速料金以外は自費になるが、今年3月から4回連続でボランティアに参加している。
「ボランティアは『やりたいけどやり方が分からない』状態が続いていたんですが、プレーしている東惑倶楽部で『できるよ』と聞いて参加しました。『午後3時で終わり』といった規律もありますし、人の役にも立てるし、みんなで食事を楽しむ時間もあってハマりました」(服部さん)
同じく愛知から参加した一人は、参加者の若手にあたる40代の佐野忠誠さん。ラグビーはトヨタ工業学園(愛知)で始め、現在もクラブチームでプレーする。
「自分一人では何もできないですけど、『ラグビーの仲間となら』と。自己満足なのかもしれませんが『良い事ができたら』という気持ちで、今回(第10回)で2回目です」(佐野さん)
現状は園部さんを中心とした小規模グループだが、将来は男女問わず全国で自主的にボランティアを開催できる未来を思い描く。自主開催のプラットフォームとなるアプリの開発も検討中だ。
「日本各地で災害が起きると、そこにラグビー経験者が集まってきて活躍する――そんな姿を通して『ラグビーやってる人ってかっこいいよね』となる活動になれば、ラグビーの価値向上に少し役立てるのでは、という思いです」(園部さん)
園部さんには別の思いもある。
ボランティアとして約1年半関わってきた能登のことだ。東日本大震災の復興を現地で見てきたからこそ、複雑な感情がこみ上げる。
「能登の復興は全然進んでいない印象です。東日本大震災後の復興を見ているので余計にそう思います。震災発生は2024年の元旦ですが、昨年5月の時点で、道はまだ穴をコンクリで埋めた程度で40キロ以上は出せず、家屋はほとんど崩れていました」
園部さんは「なぜ」の思いを抱きながら、能登半島最北端の珠洲市(蛸島町、清水町等)や輪島市で活動を続けてきた。
行く先々では、被災した能登の人びとに困り事を訊いた。そこで返ってくる被災者の反応に共通点があった。
「被災した能登の人たちに『困ってることないですか?』と聞くと、みんなが同じことを言うんです。『うちは大丈夫。他のところに行ってあげて』と。家が半分崩れているのに、ですよ」
そんな人たちだからこそ力になりたいのだと園部さんは言う。
「ここでは『やりますよ』とお節介気味になるほうがちょうど良いと思っています。そうして泥掻きでもなんでもやると、『他のところへ行ってあげて』と言っていた方の心が少しずつ変化して、少し前向きになってくれる気がします。泥掻きも大切ですが、ボランティアの本当の目的は『心の復興』――能登の皆さんの心を少しでも明るくすることが役目なのかなと思っています」(園部さん)
園部さんに約1年半のボランティア活動で印象的だった言葉を尋ねた。即答だった。
「やっぱり、『ありがとう』ですね」
ボランティア隊も準備を手伝った日本遺産「曽々木大祭」は、8月16日夜10時、海沿いの広場(窓岩ポケットパーク)でクライマックスを迎えた。お神輿とすべての巨大灯籠「キリコ」が集結し、燃えさかる松明に照らされた広場で練り歩き、勇壮に乱舞した。
と、広場から仰ぎ見る夜空の片隅に、突如として大きな花火が打ち上がった。天の川が横たわる星空を背景に咲いた大輪の数は、なんと440発。担ぎ手、ボランティア隊、観光客、そして能登の人びと――。次々に打ち上がる花火が、夜空を仰ぐ人びとの顔をいつまでも明るく照らし続けていた。
※『災害ラガーボランティア』を主催する一般社団法人「フライキプロジェクト」の公式HPはこちら





