その他 2020.05.18
【再録ジャパン_01】リーチ マイケル [2008年10月号/解体心書]

【再録ジャパン_01】リーチ マイケル [2008年10月号/解体心書]

 フィジー出身で、出張中の白人男性(マイケルの父・ジェフリーさん)と出会い、NZに渡って家庭を築いた母(エヴァさん)は、異国で暮らすことの意味、人が拠って立つものの重要さを知っていたからだろう「高校を出てからにしたら」と息子の肩に手を置いていた。

 海辺の少年が都会を夢見るようなNZと日本をつなぐ物語は、ことラグビーにおいては真逆の位置どりにも見える。ラグビー王国の男の子が、サクラの楕円球文化に憧れを抱くようになったのは、日本人留学生のプレーぶりを目の当たりにしたことがきっかけだった。啓光学園、東福岡、そして札幌山の手といった高校生たちの影響だ。

 マイケル・ジェフリー・リーチがラグビーを始めたのは5歳のころ。クライストチャーチ郊外のパパニュイから、兄と自転車で通ったバーンサイドは、地区代表カンタベリー(当時)に選手を送り込む有名クラブで、リーチ家の方針で選ばれた環境だった。父は元HO、兄と姉はPR(姉のエミリーさんは現役)、妹もタッチラグビーに親しむ楕円球ファミリーである。

「6歳に上がるとコンタクトのあるラグビーが始まります。僕は背が小さかったからSH。といっても周りは8歳の子達でした。週に2回練習して、週末は試合。同級生に交じると誰も僕のことを止められなかった。家の隣の、道路の向こうの広場では、よくマオリの子が集まってきてはラグビーしてました。僕も小さい頃から加わった。歳は…6歳くらいから、高校生まで。バチバチ(拳を手のひらに当てて)。それでもケガなんて誰もしないですよ。だからマオリは強い」

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