コラム 2025.09.16

【ラグリパWest】成り上がり。石川充 [クボタスピアーズ船橋・東京ベイ/ビジネススポンサーシップ プロデューサー]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】成り上がり。石川充 [クボタスピアーズ船橋・東京ベイ/ビジネススポンサーシップ プロデューサー]
クボタスピアーズ船橋・東京ベイでビジネススポンサーシップ プロデューサーをつとめる石川充さん。前GMは今、「スピアーズえどりくフィールド」の充実に力を注ぐ。先月23日にあった<スピアーズ夏祭り 2025>では率先して下働きに取り組んだ

 石川充は言った。
「成り上がり、ですよ」
 矢沢永吉の自叙伝に自分を重ねる。

 石川はSHだった。日本代表など華やかな履歴はない。とはいえ、軽蔑的なニュアンスを含む来し方だけで、団体競技のラグビーを日本一に導くことはできない。

 現場トップのGMとして、クボタスピアーズ船橋・東京ベイを初の日本一に導いた。2022-23シーズンである。略称「S東京ベイ」はクボタの部局扱いになる。

 勝たせた次に、56歳の石川が向かうのは「スピアーズえどりくフィールド」の充実だ。命名権は得ているが、優勝チームにとっては、さらに収容力を持った本拠地にしたい。

 通称「えどりく」は東京都の東、江戸川区にある。所有はその区だ。石川は<ビジネススポンサーシップ プロデューサー>の肩書で充実に向けた推進力となっている。

 スタジアム改修や運営に興味を持つスポンサーを探すのも石川の活動のひとつだ。
「色んな人に会ってもらっています。この前はイモトのWiFiの社長でした」
 西村誠司にも面会した。区の所有物に投入されるのは税金である。区民にその正当性が伝わらないといけない。

 今月12日、区長の斉藤猛は定例記者会見でえどりくの改修を明言した。現在の7000人収容から、倍以上の15000人へのアップを目指す。この数は日本代表戦があったミクニワールドスタジアム北九州と同水準になる。

 そのため、天然芝グラウンドの周囲にあるトラックを江戸川の対岸に移し、陸上競技場を新設する。そこは障碍者のためのパラスポーツの拠点となり、区民にも開放される。

 えどりくが球技専用になれば、観戦にはさらなる臨場感が付加される。並行して使用しているアメリカンフットボール、ラクロス、サッカーなども恩恵は受ける。席数が増えれば、施設使用料という形で区は潤う。

 加えてチームの興行収入は上がる。以前、現GMの前川泰慶(ひろのり)がメディアに語った、「毎試合、1500万円の赤字が決まっている」は縮小の方向に向かう。

 その機運を高めることもあって、S東京ベイは先月23日、えどりくで<スピアーズ夏祭り2025>を開催した。場外ではキッチンカーや選手らが応対する模擬店、場内ではダンスコンテストなどが行われた。

 参加者は1800人と昨年の<オレンジ・アーミー・フェスティバス 2024>の1000人からほぼ倍増した。ラグビーを知らない近隣の人たちにも来てもらおうと、地域の情報誌などで積極的に告知をかけた結果である。

 開場は午後4時だったが、石川は3時間ほど前に来て、会場の設営を手伝った。
「この年になればこういうことをしないと」
 そこにはGM経験者の選民的意識はない。

 出身の中学、高校とも大阪の公立だったこともあるのだろう。競技を始めたのは八尾(やお)の高安中に入学後だった。
「ラグビーをやるのが当たり前の感じでした」
 地域の旧国名は河内。侠客<八尾の朝吉>を生んだ土地柄は威勢がよかった。

 同じ八尾にある山本高でも競技を続けた。卒業時に方向性は決まらない。
「友だちなんかを見て、大学に行くものいいなあ、と考えるようになりました」
 夏から勉強開始、一浪の形で龍谷大にゆく。

 スポーツ推薦で選手が入るラグビー部では最初、相手にされなかった。
「石川高校の山本君、と言われていました」
 成り上がりの表現はここにも根がある。2年からレギュラー。チームは3年から関西Aリーグで戦い、4年で主将についた。

 体がなまった浪人から、1年ほどで正選手になり、主将になるのは大変なことだ。しかし、石川は多くを語らない。そこには間違いなく努力はあった。

 クボタには1992年(平成4)に入社した。龍谷大のラグビー部出身者としては初めてである。会社は創業100周年の1990年を期にすでに強化を始めていた。

 京葉工場に会社が作ってくれたグラウンドには最初、野球のマウンドがあった。
「クラブハウスはプレハブでした」
 慶應OBで監督をつとめた黒澤利彦のランパス中心の練習に「こんなことをして何の意味があるのか」と毒づいたこともあった。

 のち、黒澤は専務にまで上り詰めた。
「ほんと、チンピラですよね」
 その石川はGMになる。黒澤にも会社にも感じていることがある。
「ふとことが深い」
 その恩返しのひとつがえどりくの充実だ。

 石川の現役引退は1997年のシーズン終了後。この年、クボタは関東で最上だった東日本社会人リーグに昇格した。同時にリーグワンの前身である全国社会人大会に初出場する。50回大会は1勝2敗で予選プール敗退する。その2つが置き土産だった。

 石川は翌年から社業に専念。上下水道に使う塩ビパイプの営業などをした。8年して主務としてチームに戻る。その後、GMやチーム統括など名前は変わったが、一貫してチームの運営を担ってきた。

 石川の人生は成り上がりではなく、与えられた場所で、懸命に課題に取り組んだ<功なり名を遂げる>という方がすっきりくる。

 まだ大仕事は残る。えどりくの充実だ。区に代わって運営する<指定管理者>に選ばれなければならないなど道のりは遠いが、区長の会見で、第一段階はクリアした。

 石川は関西人らしく笑いで包む。
「えどりくに銅像ができるまで頑張る」
 江戸川区、その住人、そしてS東京ベイのために奮闘したい。そこにはラグビーを含めたスポーツのためという大義が横たわっている。やりがいは十二分にある。

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