【ラグリパWest】優しき男、帰郷する。平瀬健志 [レッドハリケーンズ大阪/アシスタントコーチ]
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平瀬健志(ひらせ・たけし)は優しい。
2学年下の才口將太は目を細める。
「現役の時、ウエイトトレのパートナーでした。面倒見がよくいつも教えてもらいました」
2人は今、レッドハリケーンズ大阪のフロントにいる。才口は広報などを担当。平瀬は41歳の新任アシスタントコーチだ。
略称「RH大阪」はNTTドコモの部局のひとつだ。所属はリーグワンのディビジョン2(二部)。平瀬は2か月ほど前、千葉から故郷の大阪に戻って来た。3年ぶりである。
図らずも自ら優しさの帰結を口にする。
「帰ってきて、飲みの誘いが一気に増えました。うれしいです」
整った顔は崩れる。後ろに流す整髪と相まってジェントルマンの雰囲気が漂う。
平瀬は3年間、浦安DRにいた。マネージャーなどをつとめた。こちらの運営は<NTT Sports X>。いわば兄弟チームである。
「ディズニーランドの花火を見ながら淋しく帰っていました」
千葉には単身赴任だった。
平瀬は東海大仰星から大体大に進んだ。高大の監督、土井崇司と坂田好弘は絶賛した。
「平瀬は素晴らしい」
土井は副将、坂田は主将にすえた。ポジションはCTB。171センチとそう大きくはなかったが、タックルは激しく、俊足だった。
平瀬は大体大の4年時、<送り出し>をやった。大学選手権をともに戦う京産大のために、部員たちで花道を作った。京産大の主将が同じ仰星出身のHO小西賢一だったこともあるが、これも優しさの発露である。
両チームはともに4強に進む。大体大は優勝する関東学院に3-34、京産大は早稲田に12-55だった。大会は43回(2006年度)。関西2校の4強入りは13大会ぶりだった。
「送り出しは今も続いているらしいです」
平瀬はニッコリした。
その優しさの源は家族にある。9歳違いの姉は精神的な障碍を持っていた。
「元をたどるとそこだと。小さい頃、寝ていたらいきなり噛みつかれたりしました」
その姉を両親と下の姉の家族4人で愛情で包み込む。平瀬は小学校の頃、転入生やいじめにあいそうな子の面倒を見ている。
もっとも例外はある。ラグビーだ。
「戦いなので」
コーチとしての担当はブレイクダウンだ。
「ボールキャリアーは低く、強く行かないといけません」
業務は伊藤宏明のサポートもある。同じアシスタントコーチでBKの主任になる。
平瀬のNTTドコモの入社は2007年。1年目の監督は萩本光威(みつたけ)だった。
「おまえは逆ヘッドやから使えない。死ぬ気か。命を大事にしろ」
逆ヘッドは頭が相手の太ももの前に入るタックルで、ケガの可能性が高くなる。
平瀬は振り返る。
「体の張り方を間違っていました」
タックルは勢いだと思っていた。
「スキルです。飛び込まない、顔を上げる、踏み込む、なんかが大切なんですよね」
萩本は監督として神戸製鋼(現・神戸S)を日本一にさせ、当時のNTTドコモに来た。今は関西ラグビー協会の会長をつとめる。
現役引退は2017年の2月。10季を過ごした。リーグワンの前身のトップリーグを5季、二部にあたるトップウエストAで5季だった。主将は2季任された。引退後は法人営業部に属し、4年間、関西の私鉄を担当した。休日は母校・大体大のコーチについた。
2021年4月、マネージャーとしてラグビーに戻る。そのシーズンはSHのTJ・ペレナラ(現・東京BR)を擁し、チーム史上最高の5位に入った。翌年、リーグワンが始まる。
そのシーズン終了後、NTTチームが再編された。平瀬は浦安DRにマネージャーとして移籍する。チームはプロ選手中心で二部、RH大阪は社員選手中心で三部スタートだった。
浦安DRでの3年は現場ではなく、フロントとして裏方に回った。
「選手の国籍は10くらいありました。一体感を出すことを考えました」
FWだけのコミュニケーション合宿を企画したり、外国人選手の家族にはハロウィンのパーティーや昼食会なども実施した。
信頼を大切にする平瀬がラグビーを始めたのは、寝屋川三中に入学後である。部活として考えていた野球部がなかった。
「仮入部中に鎖骨を折りました。親に猛反対されたけど、友だちがたくさんいました」
この中学でひとつ上だった主将の田中康弘が東海大仰星に入った。それにならう。
高3の冬の全国大会予選は決勝で大阪工大高(現・常翔学園)に22-69と敗れた。
「日本一を目指していたからへこみました」
大阪工大高はこの82回大会(2002年度)で4強敗退する。大会連覇する啓光学園(現・常翔啓光)に24-30だった。
その平瀬のタックルにほれ込んだのが坂田だった。平瀬は土井を介してそのことを聞く。教員にも興味があった。卒業時には保健・体育の中高の教員免許を取得している。
NTTドコモには仰星のひとつ上だった鈴江大輔や三木佳彦が入社していたこともあった。今、18年を経てコーチについた。
「目標はディビジョン1(一部)に上げることです。可能性はあります」
先のシーズンは4位だったが、開幕から唯一4連勝した。優勝したS愛知とも1勝1敗(7-21、30-22)と五分の成績だった。
平瀬は今、幸せをかみしめている。
「ラグビーで仕事ができています」
家に帰れば妻の瑞穂と2人の娘がいる。ひとり淋しく花火を見たのは過去の話だ。
その妻にも言われたことがある。
「優しいね」
妻は仰星のひとつ下だった。フルートが専門だった音楽出身者もそう思っている。
優しさは教えることにおいて不可欠だ。そこから選手愛に形を変える。コーチは平瀬にとってうってつけの仕事に違いない。