這い上がった。廣瀬雄也、日本代表デビューまでの努力。

感慨深かった。
「夢が叶った瞬間でした。お世話になった人の顔もたくさん浮かんできました。周りの皆も『おめでとう』と言ってくれて…」
廣瀬雄也が回想した場面は8月30日。宮城・ユアテックスタジアム仙台で、ラグビー日本代表としてテストマッチデビューを果たした瞬間だ。
カナダ代表とのパシフィック・ネーションズカップ(PNC)初戦で後半30分に途中出場。アウトサイドCTBへ入り、短時間でインパクトを示した。
登場直後に自陣中盤の右端で球をもらい、ラン、前方へのキック、その弾道を追いかけながらのタックルでチャンスを手繰り寄せる。
「こんなWTB(端側のポジション)のようなところに立ったことがなかったのでボールをもらった瞬間は焦りましたけど、(気持ちを)切り替えました」と振り返りながら、賞賛の言葉に「ありがとうございます」と静かに頷く。
以後も好突進を披露。身長182センチ、体重94キロの24歳は溌溂としていた。57-15で白星を掴んだ。
「目標にしたジャージー。こんなにも早く着られるとは思っていなかったです」
初招集は7月だ。対ウエールズ代表2連戦のシリーズへ途中から混ざった。
知ったのは厳しい現実だった。
「自分がいままで強みだと思っていたものがジャパンレベルで通用しない。それが、ウエールズ代表戦のシリーズで明確になりました」
肉体強化が必要だった。ナショナルチームでは身長186センチ、体重100キロの中野将伍といった大きなライバルと対峙したうえ、「テストマッチレベルではさらに大きな12、13番(CTB)がいる」。エディー・ジョーンズHCにもその旨を指摘された。
「メンタル的に勢いに乗れず、フィジカルで通用しなかった部分もあると思うんですけど…」
課題と向き合った。
所属するクボタスピアーズ船橋・東京ベイの活動拠点へ戻ると、クラブのトレーニングのほか代表側から提示されたメニューにも取り組んだ。5週間を通して2キロほど増量し、何より「ここまで(トレーニングを)やれた、という自信もつきました」。すると8月中旬からのPNC前の合宿へ、故障離脱者の穴埋めで参加できることとなった。
チャンスを逃さなかった。
ポジション争いにおいてはやや後発のスタートながら、23日の実戦練習ではワーナー・ディアンズ共同主将ら主軸と同組に混ざれた。タフな防御を繰り出し、ジョーンズに称賛された。
「廣瀬には感銘を受けた。決意を感じます」
本人は頷く。
「本当にゼロからのスタートでした。ただ、マイナスはない。何も背負うものがなかったから、練習でいいパフォーマンスができたんだと思います」
経験を肥やしにする。
出身の明大では、創部100周年にあたる2023年度、主将を務めた。
2024年1月13日、東京・国立競技場で大学選手権決勝に先発。雪に見舞われた。
「上(空)を見たらきれいに雪が舞っていて、幻想的。学生の試合をここまで応援してもらえて、すごく幸せな時間でした」
結果は準優勝ラストイヤーは怪我に泣かされており、ノーサイド後に観客から「廣瀬」コールを聞いた時は万感の思いを抱いた。
「解放された…じゃないし、報われた…じゃない。…言葉にするのは難しいですけど、皆がそうやって自分を応援してくれていたんだ、辛いことを耐えてきてよかったと、色んな感情が湧き出てきました」
学生最後のゲームで戦った帝京大の主将、江良颯もスピアーズでの同期組だ。廣瀬より数週間早く、初めての代表入りを果たした。
2人は件のカナダ代表戦にそろって出場し、まもなく出国。現地時間9月1日にはアメリカにいて、PNCの次戦以降を見据える。
かねて足技にも定評のある廣瀬は、栄えある初陣を終えてなお先を見据える。
「『廣瀬は結構、地道にやっている。ここでサボらず、ハードワークしている』というものを少しずつ見てもらう。PNCで一気にプレータイムを増やすというより、長い目で見て少しずつコーチ陣の信頼を勝ち取っていきたいです」
2027年のワールドカップオーストラリア大会出場を見据え、地に足をつける。