コラム 2024.05.23

【コラム】心理的安全性万歳

[ 多羅正崇 ]
【コラム】心理的安全性万歳
どんな選手でもラグビーを続けたいと思えるターゲットを(撮影:BBM)

「心理的安全性(サイコロジカル・セーフティー)」という言葉を見聞きしたことのある方は多いだろう。

 筆者はつい最近知った。しかし昔から知っていたかのように書かせてもらうと、この言葉が世界に広まったキッカケは、米グーグル社の発表だった。

 2015年、米グーグル社の研究チームが、「チームのパフォーマンスと創造性を高める最も重要な要素は『心理的安全性』である」と発表した。

 ここでいう心理的安全性とは何か。

 その定義は「メンバーの一人ひとりが、恐怖や不安を感じることなく、安心して発言や行動できる状態のこと」だという。

 つまり「4年神様、1年奴隷」だった、ひと昔前の大学チームなどはアウトだ。

 筆者は20年以上前、とある大学(東京都町田市相原町4342)の体育会ラグビー部に所属していた。正確を期するなら「収監されていた」という表現になるだろう。当時は「下級生の一人ひとりが、恐怖と不安を感じながら、発言や行動すらできずにいる状態」だった。もちろん今はすっかりクリーンに生まれ変わり、夜な夜な寮の屋根に上る者などもいなくなった。

 では、心理的安全性の高いチームには、どんな特徴があるのだろうか?

 グーグル社いわく、心理的安全性のあるチームは「収益性が高く」「離職率が低く」「マネジャーから『効果的に働く』と評価される機会が2倍多い」という。

 これをスポーツチームで言い換えるなら、心理的安全性のあるチーム(ユニット)は「大会成績が良く」「退部率が低く」「監督から『パフォーマンスが良い』と評価される機会が2倍多い」となるだろうか。

 気になるのは、現代ラグビー界がこうした「心理的安全性」がもたらすメリットを享受できているか、という点だ。

 ここに「チームの心理的安全性をチェックする7つの質問」がある。考案したのは、心理的安全性の提唱者であるエイミー・エドモンソン教授(米ハーバード大学)だ。

 この7つの質問で、ポジティブな回答が多いチームは心理的安全性が高い。逆にネガティブな回答が多いチームは、心理的安全性が低いという。

質問①「チームの中でミスをすると、たいてい非難される」
質問②「チームのメンバーは、難しい問題や課題を指摘し合うことができる」
質問③「チームに『自分と異なる』ということを理由に他者を拒絶するメンバーがいる」
質問④「チームに対してリスクのある行動をしても安全である」
質問⑤「チームの他のメンバーに助けを求めることは難しい」
質問⑥「チームメンバーは誰も、自分の仕事を意図的におとしめるような行動をしない」
質問⑦「メンバーと仕事をする時、スキルと才能が尊重され、生かされていると感じる」

 筆者の見るところ、日本ラグビー界はこの7つの質問でポジティブな回答が多い。

 いま楕円ファミリーの一人ひとりは、恐怖や不安を感じることなく、コミュニティで安心して発言や行動ができる。少なくとも筆者はそう感じている。だからこそ、筆者はこうした公の場で、安心して持論を展開することもできる。

 疑う人がいるかもしれないので、ここで試しに(人によってはリスキーと感じる)持論を展開してみたい。

 筆者は、日本ラグビーフットボール協会が掲げている長期ターゲット(達成目標)に異議がある。

 以下は、恐らく多くのファンが一度は目にしたことのある、日本ラグビー協会が掲げた「JAPAN RUGBY」の2050年までの長期ターゲットである。

「再びワールドカップを日本に招致し、世界一になる」

 不満は三つある。

 一つ目の不満は、JAPAN RUGBY(日本ラグビー)全体のターゲットであること。これが協会内の代表強化部門が掲げるターゲットなら、「世界一」の部分は理解できる。

 日本ラグビー協会は、ラグビーに関わる全ての人のために存在しているはずの統括団体だ。そしてJAPAN RUGBYは、その日本協会より高次にある、ラグビーに関わる全ての人を内包する「日本ラグビー」を意味する概念だろう。そんなJAPAN RUGBYの向こう約25年間のターゲットが、なぜひと握りの競技エリートしか参加できない大会の達成目標なのだろうか。

「再びワールドカップを日本に招致し、世界一になる」

 たとえば高校・大学でいえばBチームやCチームの選手の姿は、このターゲットからは窺えない。日本代表に選抜されない、そもそも代表を目指していない選手の姿は窺えない。統括団体ならば、さまざまな境遇のプレイヤーがコミットしたいと思えるターゲットを掲げられないだろうか。

 2つ目の不満は、長期ターゲットが一つしかないことだ。

 長期ターゲットが複数あってもよいのではないか。このターゲットも複数の内の一つならまだ受け入れやすい。ハイパフォーマンスの追求、日本代表強化は必要だと考えるからだ。

 長期ターゲットは重要だ。それが競技の世界観を形作っていくと思うからだ。複数の長期ターゲットを組み合わせれば、この共生社会や多様性の時代に合った、誰もが生きやすいと感じられる世界観を打ち出せるのではないか。

 3つ目の不満は、ラグビー選手にできることを限定しているように思える点だ。

「再びワールドカップを日本に招致し、世界一になる」。このターゲットがプレイヤーに求める能力に多様性はない。このターゲットが求める主な能力は、ワールドカップ優勝に貢献する競技力だ。

 アスリート、ラグビー選手には多様な能力がある。情報を広く発信する力、人びとの関心を喚起する力、人びとを感化する力――。

 それぞれのプレイヤーが多様な能力を発揮し、その人らしいプレイヤー人生を送りながら、それでも日本ラグビーに貢献していると実感できる、そんなターゲットを模索できないだろうか。

 たとえば「社会課題を解決できるプレイヤーの育成」というターゲットはどうだろう。

 これなら長期ターゲットとワンセットのJAPAN RUGBY未来像(ビジョン)「世界のラグビーをリードし、スポーツを越えた社会変革の主体者となる」ともリンクする。社会課題の解決をしたプレイヤーを表彰するなどすれば、日本ラグビーへの貢献を実感してもらえるのではないか。

 4つ目の不満もあった。

 日本ラグビー自体にできることも限定しているように思えることだ。

 いま世界は争いで溢れている。欧州などは第三次世界大戦・前夜の緊迫感だろう。

 日本ラグビーは「ノーサイド」「多様性」といった平和的な価値を持っている。だからこそ「もったいない」と本当に思う。

 2024年までの中期戦略計画にある「ノーサイド」「多様性」といった日本ラグビーの価値浸透を、長期ターゲットの一つに格上げして掲げて、積極的に進めてほしい。

 具体的には、日本ラグビーに関する価値を教材化する。プレイヤーに対しては教材使用の講座を受講してもらう。そして現役時代から研修を重ね、引退後には「ノーサイド」「多様性」などラグビーの平和的価値をテーマにした講義を社内、他企業、公共団体、学校などで開催できる講師として活躍してもらう。

 さまざまな施策で、社会に日本ラグビーの価値を行き渡らせる。

 そうしてラグビーの価値を広められたら、学校の、職場の、地域の、世界のいさかいを減らすことができる。ラグビーにそんな力はない、出来るはずがないと言う方がいるかもしれない。筆者はできると思っている。

――と、ついつい熱く語ってしまったがこんな持論を展開しても安心で、もちろん何ら問題はない。心理的安全性万歳である。

【筆者プロフィール】多羅正崇(  )
1980年生まれ。神奈川県出身。法政二高、法政大学でラグビー部に所属。大学卒業後にテレビ・ラジオの放送作家としてバラエティ番組の制作に携わる。現在はスポーツジャーナリストとして主にラグビー記事・コラムを『ラグビーマガジン』『JSPORTS』「Number』等に寄稿。エッセイストとしても活動し、ラグビー漫画『インビンシブル』(講談社)の単行本巻末コラムを担当した。

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