【ラグリパWest】40年前。思い出は鮮やかに。
はちゃめちゃな思い出はいいですね。今に至る原型が作られます。
報徳学園の西條裕朗監督は還暦手前。ラグビー部を率います。全国大会出場は46回。そのうち3回に正PRとして貢献しました。つまり、1年生からレギュラーでした。
浪人時代、英語習得とラグビーを兼ね、ニュージーランドに留学します。
「ちょうど、出発は今ごろやったねえ」
当時の前田豊彦監督のすすめでした。
40年前、往復航空券の値段を覚えています。
「46万円でした」
空路は特別で高価な移動手段でした。
「飛行機に乗ったことがなかったので、搭乗の予行演習ということで、大阪から東京まで行くのに使いました」
兄・誠一さんが出ていた法大の試合を秩父宮で見ます。
一大決心の初海外。なんとかの歩き方なんてガイド本はありません。トランクは2個になり、重量は20キロオーバーでした。
「おふくろは目の前で新札の1万円を10枚切って、超過料金を払っていました」
中には親戚のおじさんのものを仕立て直したスーツが2着。現地で着る機会は、もちろんありませんでした。
出発の大阪・伊丹空港には下級生部員たちが現れます。母は重ねて偉かった。
「後輩たちに、『これでお茶でも飲んで下さい』とお金を渡していました」
万歳三唱で送り出されます。
伊丹から成田に向かい、乗り継ぎます。
「乗客は10人くらいでした」
フィジーのナンディで新婚旅行の3組ほどが下りたため、ニュージーランドの玄関口、オークランドでの降機は3人でした。
いきなり試練が襲います。南島のクライストチャーチに向かう国内線のターミナルはバスに乗るほどの距離。英語は話せません。
「乗客の日本人に助けてもらいました。ニチロ(現マルハニチロ)の人。その人がいなければ、どうなっていたかわかりません」
地獄に仏。きっと、それまでの行いがよかったのでしょう。そのビジネスマンは、魚の買いつけのため、インバカーゴに駐在する途中でした。姫野和樹さんが所属するハイランダーズの本拠地、ダニーデンよりさらに下る南極に近い港町です。