その他 2020.06.02
【再録・ジャパン_03】ピーター・ラブスカフニ [2018年9月号/解体心書]

【再録・ジャパン_03】ピーター・ラブスカフニ [2018年9月号/解体心書]

[ 編集部 ]

「南アフリカの家庭では珍しくないことです。父が、スタジアムに飾ってあった優勝カップと一緒に撮ってくれた私は、まだカップよりも小さかった」

 入学とともに小学校のラグビークラブに入った。

 練習だけでは飽きたらず、休み時間であろうと下校中であろうと、誰かがボールを取り出すとタッチフットが始まり、やがてボールを奪い合うラグビーにもつれ込み、近くにいる子はみな引き寄せられるようにプレーに加わっていた。

「母によく叱られました。制服のままでラグビーをするので、シャツのボタンがちぎれてなくなってしまう。もみくちゃになって遊んで、帰りに気が付いたらボタンが3つ飛んでいたり」

 キャリアとしてのラグビーを自覚したのは高校卒業時。ブルズとジュニア(U21)の契約をした。ただし、勝負はそれから3年のうちにシニア契約に漕ぎ着けるか、どうか。より厳しい競争が待っていた。

「結局、シニアの契約は逃してしまいました。フリーステート大学には元々通っていたのですが、これからは、ラグビーのプロは諦めて、勉強をより頑張ろうと切り換えました。大学代表のチームに選ばれていて、一つ上の学年には、のちにサンウルブズで共同キャプテンを務めるヴィリー・ブリッツがいました。

 ラグビーのキャリアは、ままならないものですね。選手に実力がある場合でも、それを見てくれている人や、巡り合わせが、進路を左右することもある。私の場合は、思わぬ時に、ぱっと扉が開いたんです」

 大学でプレーしていたラピースの姿が、たまたまチーターズ関係者の目に留まった。トライアルのあと、格式のあるカリーカップに向けた練習に参加しないかと声がかかった。その後も活躍が認められ、スーパーラグビーのプレーヤーとなった。チーターズ、やがてブルズと、50近い試合経験を積んだ。

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