国内 2020.05.21
【再録・ジャパン_02】堀江翔太 [2007年8月号/解体心書]

【再録・ジャパン_02】堀江翔太 [2007年8月号/解体心書]

[ 編集部 ]

 身近な人の具体的な技術を目標に置く主義の堀江だったが、’90年代の日本ラグビーを駆け抜けた怪物ランナーは、電波を通じてもハートを掴むオーラを発していたのだ。

「いやあ、仙波さんのプレーをマネたいと思いましたね…」

その気持ちは、徐々に現実化していった。南アフリカを舞台に開かれたU19世界選手権でも、深紅のジャージを着て臨む秩父宮の対抗戦でも、どれだけタックルされても前へ突き進もうとする堀江のプレースタイルは、なるほど仙波と重なる気がする。

 ところが、帝京大への進学はブレイクの1年近く前、高2の終わりには決まっていたという。帝京が初めて大学4強に進み、臨んだサントリーとの日本選手権1回戦。花園での試合前日、自チームの練習を終え、第3グラウンドで行われていた高校生の試合を眺めていた岩出雅之監督が惚れ込み、その場で「ウチに来いよ」と即決してしまったのだ。U19入りの後で逸材を知った某伝統校が獲得に動いても後の祭りだった。

「大学ラグビーは見てなかったし、どこが強いかもよく知らなかった。関西に残るか関東に出るかでも迷ったんです。でも、本気でやるなら関東だと思った」

 伸び伸びとラグビーに取り組んだ高校時代とは対照的に、大学では緻密に組織化されたラグビーを知り、FLの仕事も叩き込まれた。1年時の辻井主将には「1回ビックタックルしても4回ゲインラインを切られたらダメ。5回ともゲインラインで止めて、ボールに絡んで相手の球出しを遅らせるタックルの方が価値があるんだ」と諭された。

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