国内 2020.05.21
【再録・ジャパン_02】堀江翔太 [2007年8月号/解体心書]

【再録・ジャパン_02】堀江翔太 [2007年8月号/解体心書]

[ 編集部 ]

「やっぱりFLとはちょっと違う。でも、FLで会得したブレイクダウンの絡み、地味なプレーはNO8でも活かせると思う。アタックでは、『困ったらオレに放ってくれ、何とかするから』くらいの気持ちでいます。マークされるのは分かってるけど、それでも前へ出られるようにしたい」

 万能FWにして仲間の信頼厚いスキッパーが、帝京大を悲願の大学日本一へ導こうとしている。

 堀江が生まれたのは大阪府堺市。体重4000グラムの大きな赤ちゃんだった。

「子供の頃は太ってました。親がお菓子を買ってくれなくて、ごはんをいっぱい食べてましたね」

 幼稚園のとき吹田市へ引っ越し、高校3年で堺市に戻った。

 最初に出会ったスポーツはサッカー。通っていた『ひじり幼稚園』には、昼休みも練習するほど熱心なサッカーチームがあった。

「憧れは断然カズです。友達といつも『ヴェルディに入ろうな』と言いあってました」

 幼稚園ではFW。小学校に上がってから通ったYMCAサッカークラブではゴールキーパーに転向した。流れが変わったのは、小4で学校のサッカークラブに入ってから。

「痛がってオーバーリアクションしたり、カッコつけたがる先輩がいて、何か合わなかったんです。僕は真剣にサッカーをやりたかったけど、そういう雰囲気じゃなかった」

 かくしてサッカークラブを1年で去った少年は、5年生のときは何の運動もせず。「ブクブク太りだして、親が『何かスポーツせんとヤバイぞ』と言い出して」。東芝SO廣瀬俊朗らを輩出した吹田ラグビースクールに5年生の途中から通い始める。

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