コラム 2019.01.09

【ラグリパWest】1を100にできるかけら。

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】1を100にできるかけら。
八幡工の次への一歩が刻まれたスコアボード。(撮影/宮原和也)

 はじまりは酒場の会話だった。
 大晦日。大阪での忘年会である。

 ビール大瓶400円。「天満酒蔵」が開いていた。小気味よい居酒屋に田村一博と藤島大はご機嫌さん。ラグマガ編集長と執筆&解説の名人は花園2回戦での好チームを語る。

 八幡工の名が挙がった。
 滋賀の県立工業校。読みは「はちまん」、愛称は「ハチコー」だ。ジャージーは青と黒の段柄。赤のヘッドギアがアクセントになっている。

 明けて元日。3回戦ではモスグリーンに7-80。Aシードの東福岡(福岡)は強かった。

 ただ、一筋の光明は残る。
 前後半60分。そのうち、わずか5分ほどは敗者がスタンドを沸かせた。
 後半23分、モールを約10メートル押し込み、唯一のトライを奪う。

 勝者の藤田雄一郎は話す。
「ディフェンスは取られてしまいましたね。いいアタックに反応できませんでした」
 花園優勝6回を誇る歴代4位チームの監督は、失点までに最大交替人数の8を使い切っていた。点差は70以上。それでも、敗者を讃える言葉を折り込んだ。

 ラグビーどころの近畿にあって、八幡工のある滋賀の印象は、この地方の2府4県を潤す水がめ・琵琶湖ほどに強くない。

 県勢の全国初出場は50回大会(1971年)。51都道府県から最低1校が出られる記念大会において八幡工がその先駆けになった。
 戦績は1回戦敗退。國學院久我山(東京)に5-22だった。
 それまで不出場の理由は、京滋(けいじ)代表という区割り。全国準優勝3回の花園などが中心の京都府に勝てなかった。

 次の出場は10大会後の同じ記念大会。隔年を経て、64回から単独枠を得る。
 県勢のこれまでの出場回数は38。校数は3。八幡工が27と群を抜き、光泉の8、膳所(ぜぜ)の3となる。
 最高成績は3回戦進出。八幡工がこの98回大会も含め、7回記録している。今回は1回戦で朝明(三重)を14-12、2回戦で城東(徳島)を24-14と連破していた。

 八幡工は琵琶湖の東側、湖東と呼ばれる近江八幡市にある。
 名高い「近江商人」発祥の地のひとつ。その祖がデパートの大丸や高島屋、鉄道などを持つ西武、商社の伊藤忠などを作り上げた。

 市は商業学校系が強かった野球が盛んだ。「ハッショウ」と呼ばれる八幡商は春夏14回、甲子園に出ている。その学校創立は1886年(明治19)。八幡工の1961年とは75年の開きがある。近隣の彦根市にある私立の近江は夏の選手権で準優勝。県下有数の公立進学校・彦根東もこの競技で名をはせる。

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