【コラム】本を書く人に。 [ラグマガ・サイドB]
「と! 言うわけで、あと14秒でした。我ら久我山が花園連覇に、もっとも近づいた瞬間を味あわせてもらいました。ま、負けちゃったんだけどね!」
第59回の花園(全国高校大会)の決勝で敗れた経験をネタに、そうそうたるOBを前に笑いを誘う。2019年2月、國學院久我山高校ラグビー部70周年のお祝いの席での光景だ。およそ40年前、目黒高校との決勝で終了間際に取られた逆転トライ&ゴールを、その悔しさの分だけ笑える今がある。2022年1月8日、再び決勝の舞台に立ったかつての久我山WTB吉岡肇は、國學院栃木高校の監督となってその芝に選手を送り出し、再び敗れた。
「簡単に強くなってきたわけじゃない。だから、簡単には弱くならない」
「神様、そりゃないぜ」
ラグビーマガジン3月号(1月25日発売号)には、初4強、初決勝を叶えた指揮官の言葉が躍っている。創部以来の道のり、27回目の花園の景色、タッチラインの外からチームを支えたキャプテンの物語がある。ここでは、語る高校ラグビー監督、吉岡肇先生をめぐるもう一つのお話を[ラグマガ・サイドB]として紹介する。
第101回の花園で初めての準優勝を飾り、國學院栃木は新たな強豪となった。これまで桐蔭学園一強とされてきた関東から、2000年代に入って4強に入ったのは6校のみ(桐蔭学園、久我山、埼工大深谷、流経大柏、茗溪学園、國學院栃木)。桐蔭以外では同期間で初のファイナリストとなった(第79回大会の準優勝、埼工大深谷=現・正智深谷 以来)。
「34年やってきて、間違いなく最高の1日です」(吉岡肇監督/準々決勝後・17-7長崎北陽台)
筆者の知る國學院栃木OBはFW第一列。社会人までプレーした。現役を引退した今でもどこかに恩師の言葉が漂っていて、時折、頭に心にふわっと浮かび上がってくるという。
ラグビーは國栃で始めた。タックルに行く姿勢が評価され、吉岡先生には1年生からレギュラーで使ってもらうことができた。1年時は右も左もわからないままWTBに入り、花園にも出場。コンタクトに初めから抵抗がなかったのは小学校時代に打ち込んだ柔道のおかげだ。