【コラム】瀬戸際に輝く。

大切な試合の大切な局面で大きな仕事をやってのける。その選手の真価が表れるシーンのひとつだ。実力はもちろん、状況を察知する嗅覚と優れた判断力がなければ、極限のプレッシャーの中で重要なプレーを遂行することはできない。
2025年4月19日。バイウィークでディビジョン1のゲームがない週末、そんな場面を目撃した。柏の葉公園総合競技場でのディビジョン2の首位攻防、NECグリーンロケッツ東葛対豊田自動織機シャトルズ愛知戦でのことだ。
グリーンロケッツの背番号20、33歳のFL大和田立は、先発のジェフ・クリッジの負傷を受け前半23分にフィールドへ飛び出した。スコアは0-8。前半25分過ぎまで一度も相手陣での攻撃機会なしという劣勢の中での登場だった。
29分、さっそく最初のスティールを決める。相手ボールキャリアーが倒れるや、すばやく球に絡んでペナルティを獲得した。これでシャトルズの勢いを断ち切ると、32分過ぎには鋭い出足のタックルで攻守逆転につなげ、反撃ムードを一気に加速させる。以降も接点のせめぎ合いで厳しく体を当てて圧力をかけ続けた。
この試合のハイライトが訪れたのは後半のロスタイムだ。7点を追うシャトルズが自陣から満々の気迫で攻め立て、ハーフウェーライン付近まで前進。しかしラックにかける人数が薄くなったところで緑の20番がすかさず相手SHに襲いかかり、ボールを奪い取る。会心のターンオーバー。直後に勝利を告げるホイッスルが鳴り響いた。
実は、大和田のメンバー入りが決まったのは試合前日だった。いわく「ジャージープレゼンテーションで名前を呼ばれるまで、メンバーに入ることを知らなかったんです」。当初出場予定だった選手にアクシデントがあり、スクランブルで急遽ベンチに座ることとなった。
加えてこれが今季初出場。きっとケガで苦しんでいたのでは…と確かめたら、「単純に実力で出られませんでした」と答えが返ってきた。チーム内の序列は「4軍くらい」。実戦形式のメニューでは15対15の中に入ることもできず、「サイドライン沿いをひたすら走っていた」という。
大一番で突然の抜擢の対象となったのは、それまで積み上げてきた実績ゆえだろう。ただ、コーチングスタッフから事前に伝えられていたのは「出番は最終盤の5分ほど」だった。「5分でもやれることはある。5分でもいいから全力でがんばろうと」と決意しベンチで待機していると、開始20分あまりでいきなり声がかかった。
「僕もびっくりしました。ずいぶん早いなー、と(笑)」
激闘の直後とは思えぬのどかな口調に貫禄がにじむ。PR瀧澤直に次ぐチーム2番目の在籍年数(11年)を誇るベテランは、そんな状況にもまるで動じなかった。ただちにチームの置かれる状況に溶け込み、求められる役割を忠実に、高い次元で果たし続けた。
大和田には、どうしても結果を残したい理由もあった。ミックスゾーンでのインタビューの最中、思いが次々に言葉となってあふれた。
「今日一番思っていたのは、今までずっと一緒にやってきたノンメンバーのみんなに恥じないプレーをしなければ、ということです。試合に出られないメンバーも、みんな毎日必死に努力しています。急遽出ることになった僕がダメなプレーをして、『あいつらはそれくらいのレベルなんだ』と思われるのだけは嫌だった」
あらためて現在33歳。そろそろ下り坂に入ってきたのでは…という周囲の視線に対し、まだまだやれるというところを見せたい気持ちもあった。1月18日の1巡目の対戦で0-42と大敗した相手に「次は必ず勝つ」という雪辱の意志も、パフォーマンスを後押しするエナジーになった。
北海道の雄大な自然を想起させる名を持つ美幌高校でラグビーを始めた。当時の部員数は20名ほど。そこから黄金期の礎を築きつつあった帝京大学に進み、1年時から4年連続で大学選手権優勝の一員となった。
NECに加入したのは2014年だ。チームがトップリーグや日本選手権で覇権を争っていた2000年代前半の最後の残り香を知る世代。芝の下の土の匂いを感じさせる愚直なラグビーこそが自分たちのスタイルというプライドを持つ。
マイボールラインアウトをことごとく失うなど狙い通りの内容ではなかったものの、がむしゃらに体を当て続いて0-42の大敗の雪辱を果たした。「これぞNECという勝ち方でした」と声をかけると、「ホントそうなんですよ」と相合を崩す。
「泥臭くロースコアの展開に持ち込んで、ディフェンスで粘り勝つのがNEC。リーグワンになってメンバーの入れ替わりも激しかったですが、そこだけは絶対に外してはいけないと思っています」
2勝3敗と苦しんだ前半戦から見事に立ち直り、これで7連勝。首位シャトルズとの勝ち点差は3に縮まった。むろんディビジョン1復帰への道はまだまだ長く険しい。ただ、着実にその道を進んでいる感覚はある。