【コラム】学生スポーツの意義。
早大ラグビー部、日本代表監督などを務めた大西鐡之祐先生は、早大では名誉教授として『現代スポーツ論』などの講座を持った。
日本人の特質を活かした海外の強豪チームに勝つ方法論やスポーツの本質を、自らの戦争体験も踏まえて、人が生きる上で何が大切かを深く、熱く説いていた。
毎週90分に渡る講義は、若い学生が興味を持ちそうな話題を絡めながら、硬軟取り混ぜた楽しくも、人の生きる道を照らす、心揺さぶる大人気講座だった。
かの戦争でビルマ、マレー、スマトラなどを転戦し、何人もの戦友を目の前で失い、荼毘に臥してきた大西先生の言葉は本物であり、若き僕たちの心に重く堆積していった。
大西先生は『学校体育』という教師向けの冊子の中で次のような文章を残している。
「スポーツにおける知性の注入は、人間が社会的行動を行なう場合の絶対的規範として学ぶ、ゲーム中のフェアかアンフェアかの判断が要諦になる。その探求が、彼らが将来突入していくであろう、大きく変化してゆく社会においても根源的な心構えと態度として、常に生々しく直面する問題となるであろう」
「スポーツは、彼らが将来直面する、科学と技術に対する知性的行動として取り組むべき、最もプリミティブな原理を把握させるものである」
「闘争、愛、生死、緊急事態などに直面した場合、現在の科学や技術、すなわち知性的な行動だけではこれらを全面的に解決することは不可能である。スポーツにおけるゲームは、現在の教育制度の中に残された唯一の具体的な闘争、競争の場における自己統御の規範教育である」
「人間の精神は、共通の目標を持った集団生活を通じて養われる。スポーツが青少年の生活態度に影響を及ぼすとするなら、それは外面的な態度のみを期待するものではなく、彼らが社会の中で生活し行動する、その根源的な社会観と人間に対する心構えと態度でなければならない」
半世紀近く前に書かれた、この大西先生の言葉が、現代のスポーツに向かう若者にそのまま通用する、スポーツの重要な原点を教えてくれている。
早稲田ラグビー部は、日本一になることが常に求められている。
しかし、その環境下で大西先生は常々こう話していた。
「僕は君たちにラグビーの技術を教えているのではない。ラグビーというスポーツを通してナショナルリーダーを育てているのだ」
そして、「これは大学教育の一環だ。やりたい人間を辞めさせるな」。だから、日本一を目指すチームなのに、僕のようなラグビーをやったこともない素人を相手にもパスやキックの仕方から教えてくれた。
あの頃の早稲田は、毎年ラグビーの強豪校からやって来る数名のラグビーエリートと、花園も経験していない無名の雑草とが混在した、野趣あふれる魅力的な集団であった。
その部内マッチは、雑草がエリートに立ち向かう、決戦の水曜日!
メンバーを決める熾烈なAB戦は、毎週、東伏見グランドで多くのファンが見守る中、行われていた。その戦いが、早稲田の強さの源泉でもあった(いまは時代が違っていると思うが)。
学生が好きなスポーツを志す、その意義は何なのだろうか。
社会人になる前の、様々な経験を積み、学びを身に着ける学生が、その競技に青春のすべてを捧げる。
茨の道を歩き、多くの自由を失い、その代償として果たして何を学んだのか。
その後、社会に出て、自分の心と身体の中に何が残ったのだろうか。
誰しもが必ず経験するさまざまな困難、その壁の前に一人立って、何を考え、どう行動するのか。しないのか。
その姿勢が社会に出てからの自分を前進させ、たくましく成長させてゆく。
健康的に楽しむスポーツはまた別次元であり、高い目標に挑戦する競技スポーツは、自分は何者なのかを探求する過程において、暗闇の中で自己と対話し、闘い、悩み苦しみもがきながら、その試練を乗り越えてゆく。
乗り越えられなかったとしても、その彷徨う道程がいかに尊い、青春の美しい時間であるか。
二度と戻れない情熱のるつぼである。
満州事変から太平洋戦争に至るまでの15年間、中国や米国を相手に、なぜあの無謀な戦争に突入して行ったのか。その時々の判断を下した国の中枢はどんな精神状態で、どんな根拠を持ち、何を目指しこの国を動かしていったのか。
その間、なぜ止められず、破滅への道を突き進んでいったのだろうか。
あの戦争によって、どれだけの犠牲者を出し、多くの国民を悲嘆と困窮に陥れた。
大西先生曰く、世の中の空気が戦争に突き進む前に阻止しなければ、戦争は止められない。机上の勉強だけでは、究極の緊急事態に冷静な正しい判断を下す人間は育たない。という考えである。
この混迷の世界に何を考え、どう生きるか。われわれはどのような社会を目指し、その幸せな世界にどのような貢献ができるのだろうか。
フェアかアンフェアか。法律に抵触しなければ何をしてもいいのか。人生は自分さえよければいいのだろうか。自分の家族さえ幸せであれば、それだけでいいのだろうか。
18世紀後半に起こった産業革命を超える大変革が、いま世界を一変させようとしている。その真っただ中で、教科書では教えてくれない未知の世界を人類は手探りで走っている。
スポーツが掲げるチームワーク、フェアプレーの精神。ラグビーが大切にするワンフォーオール、ノーサイドの意志が、いまの時代にこそ求められている。



