「前へ」を体現するリーダーへ。高比良恭介[明大2年/HO]
真紅のジャージーが次々と跳びかかり、からみつく。しかし、どれほどタックルを浴びようともお構いなし。楕円球を抱えてトライラインを視界に収めれば、ぐいぐいと突き進んでいく。
まさに絵に描いたような「前へ」。
10月5日、八幡山でおこなわれた関東ジュニア選手権の帝京戦。フッカーの高比良恭介は後半10分、明治FWそのものを体現して貴重な追加点となるトライを挙げた。
東福岡でも世代屈指のペネトレーターとして鳴らした。
3年時にはキャプテンを務め、ポジションは花形のナンバーエイト。同校を花園制覇が手に届くところまで導き(※決勝で桐蔭学園に5-8)、明治にやってきて2年目。いま伸び盛りのヒガシの元主将は、自身の豪快なプレーを次のように振り返る。
「帝京は大学のなかでもトップレベルのフィジカルを持っています。自分たちは接点にこだわることに(意識を)統一しました。そこで負けたくないという気持ちが出たと思います」
この時期、紫紺と白のジャージーはもがいていた。Aチームは筑波との開幕戦を落とし、ジュニアは早稲田に12-50と大敗。よどんだ流れの循環を促すべく、「絶対に負けられない」と必勝態勢で挑み、望んだとおりの結果を手にした。
翌週の対抗戦、雨中での日体大戦は再び苦しむも、規律とコミュニケーションを見直した10月26日の立教との一戦で息を吹き返す。いくつかのミスはあったものの、引き締まった攻守で76-7と大勝を飾った。
高比良自身も20分ほどの出場でハットトリックを達成。後半36分には3週間前と同様に複数のタックラーを押し戻す猛烈な前進を見せ、ボールをトライエリアで押さえた。
ここまでの対抗戦4試合の背番号はすべて16。現時点でのフッカーにおける序列は二番手ながら、充実に近いシーズンを過ごす。
飛躍のきっかけは、今年2月から3月にかけて招集された「JAPAN TALENT SQUAD プログラム(JTS)」。直前のおよそ1か月、負傷の影響でプレーできない状態だったが、それがかえってポジティブに働いた。
「いままでの変な癖が抜けていました。リーグワンのチームと練習をするなかで、いいものを吸収できたのも大きかった。それが形になってシーズンにも生かせています」
惜しくもU23日本代表には選出されなかったが、八幡山に戻り、秋を迎え、いよいよ欠かせない戦力へと成長した。ボールキャリーに秀でた選手が揃うFW陣において、前述のとおり、タテへの推進力は屈指。そのうえで現状の課題と立場を正しく把握する。
「メンバー入りできているのは本当にうれしいし、ありがたいんですけど、やっぱりスタートで出たいです。そこに達するには(レギュラーの西野)帆平さんを超えないといけない。でも、スクラムの技術やスローイングの精度はあきらかに劣っているので、いかに弱みをなくしていけるかが大事だと思っています」
自分を客観視できる冷静さと強い向上心を持つ、長崎市出身の20歳はラグビーを始めて以来、いつもチームの先導役を担ってきた。
昨季まで帝京所属の3歳上の兄、駿介さんを追って5歳のときに長崎ラグビースクールへ入会。それ以降、小中高すべてのカテゴリーでキャプテンを任され、明治でも学年リーダーを務める。
小学生で初めて主将に選ばれると、性格と言動が変わった。
仲間内ではおどけて笑わせるタイプの少年の口数は減り、すっかりおとなしくなった。家族もその変化に気づく。
「キャプテンに選ばれたころから責任感が増して、だんだん静かになっていったよ、と言われたことはあります」
キーワードは「責任感」。さらには「嫌ではなかった」というから、素養があったのだろう。
中学卒業後は地元の長崎を離れ、九州の雄である東福岡へ。練習見学の際、グラウンド脇に美しくまっすぐに並べられたボールに心を奪われ、「ここでラグビーがしたい」と進学先に選んだ。
そして3年時の夏合宿。「キャプテンとは何か」を深く考えさせられる出来事が起きる。
食事の時間となり食堂へ向かうと、準備が遅れ、箸が置かれていなかった。「自分でやっちゃったほうが早い」。そう考えた高比良は、全員分の箸を配って回った。
すると、その様子を見ていた藤田雄一郎監督が一喝する。
「キャプテンは常に指示役、命令役であれ」
「人に頼れず、自分だけで淡々としてしまっていました」
あるいは人前で話すことが苦手になった気質や、責任感の強さが影響したのかもしれない。
監督の言葉を受けて以降、当然、指示や命令をする回数は増えた。一方で、独自の考え方や価値観に合わせてアレンジも加えた。
「口で言うだけなら簡単ですけど、まずは自分がやらないと説得力がないというか。たとえば練習時間が近くなってグラウンドへ出るとき、僕が部室にいる状況で『早く行け』と言っても、キャプテンもまだ出てないからいいでしょ、となると思うので。最初に自分が行動してから指示を出す。そこは常に意識していました」
そもそもヒガシは大所帯のチームだ。単独での統率は容易ではない。
強い発信力を持つ、同期の幹部たちの存在が支えとなった。
副将の井上晴生(現・青山学院)と隅田誠太郎(現・同志社)に加え、FWとBKそれぞれのリーダーである田中京也(現・立命館)や利守晴(現・青山学院)。現在の大学シーンで主力を張る選手のサポートを得ながら、150人に近い部員をまとめていった。
この貴重な経験は間違いなく今後に生きるだろう。
対抗戦はいよいよ佳境を迎える。言行一致を信念とするフッカーは勝負どころでどんな姿を見せてくれるのか。八幡山のグラウンドに足を踏み入れて、およそ1年半。「明治FWとは?」と問えば、こんな言葉が返ってきた。
「まずはセットプレーで勝って、一人ひとりがしっかりと前に出ていく」
正論かつ模範解答。前半部分は自覚を持って鍛錬を重ね、後半部分はすでに高水準に達している。




