【ラグリパWest】ラグビーで町おこしを。石橋大輝 [福岡県/うきは市/職員]
生まれ育った街のために生きる。それは高校から始めたラグビーのためにもなる。
石橋大輝にとっての<街>は福岡県の南東部にあるうきは市である。
「この街が大好きです。自然が多く、人が温かい。歩いていてもあいさつを交わします」
石橋はこの市の正職員だ。切れ長の瞳を輝かせ、大きな口は一直線に伸びる。
うきは市には3年前、ラグビーチームの「ルリーロ福岡」が誕生した。今はリーグワンのディビジョン3(三部)に属している。この市にとっては名刺のひとつになる。
石橋は26歳。今年4月、<ラグビータウンプロジェクト推進係>に来た。
「幸せです。今は好きなラグビーが仕事になっています」
石橋は市内にある県立の浮羽究真館から福岡大に進んだ。ラグビーは高大における部活動だった。
現役時代は168センチ、80キロ。高校ではCTBを任され、大学ではWTBやFLをこなした。その経歴はルリーロ福岡との関係をより緊密にするのにも役立つ。
石橋のいる係は生涯学習課の属してる。係員は係長と石橋の2人。係長は兼務のため、石橋が軸となって企画を立てたり、行動を考える。今年8月から9月にあった女子ラグビーのW杯では日本代表の試合でパブリック・ビューイング(PV)を実施した。
PVは市の施設である<るり色ふるさと館>を使った。
「生涯学習課に属しているのは、市民にラグビーを知ってもらうという理由もあります」
そのためのPVだ。石橋は市内の小学校を回り、タグラグビーの授業を受け持ったりもする。
石橋は思索する。
「ラグビーの街の見せ方を考えています」
そのひとつに<田んぼラグビー>の再開がある。最後に開催されたのは8年前だった。
「クボタやコカ・コーラが来てくれました」
クボタはS東京ベイに呼称が変わり、リーグワンのディビジョン1(一部)所属。コカ・コーラは廃部したが、当時はトップチームだった。2つはにぎわいをもたらしてくれた。
その後、コロナがあった。当時と違うのはルリーロ福岡ができたことだ。再びにぎわいを創生できる。このイベントの再開は市の上層部に認めてもらった上で、予算化が先決ではあるが、面白い試みには違いない。
その田んぼを含め、うきは市は温暖でもの成りがよい。米やうどんになる小麦、さらには糖度の高い果物で名が通る。今の時期ならぶどう、梨、柿などがたわわに実る。
うきは市は北を筑後川が流れ、古来より青い水と土砂の堆積があり、土地は肥えている。南には緑の耳納(みのう)の連山。その間を久留米から大分の日田に抜ける豊後街道が貫いている。市の中心部は「白壁通り」と呼ばれ、富の集積を思わせる白く輝く旧家が今でも軒を連ねている。
市の面積は117平方キロ。人口は26000人ほど。JRの久大本線に乗り、西に30分ほど揺られれば、久留米に着く。県内の市では福岡、北九州に次ぎ三番目に大きい。
このうきはの市内で石橋は生まれ育った。3人兄弟の末っ子。小学校は御幸(みゆき)、中学は浮羽。小中では水泳をやった。
「リレーで全中に出たこともあります」
全国中学校体育大会に出場する。専門はバタフライ。運動神経は元々いい。
浮羽究真館では2つ上の兄・銀次がラグビーをしていた。
「人生全部、水泳はどうかなあ、と」
その兄に続き、競技を始める。2年生の時に吉瀬(きちぜ)晋太郎が監督、そして保健・体育教員として赴任した。
吉瀬にとっては母校に帰る形になる。在学中の校名は<浮羽>。石橋は覚えている。
「日本一になる、と部室の掃除から始められました。今もそうですが熱い先生でした」
場を清めなければ強くならない。それが教えのひとつある。
不惑を迎えた吉瀬は当時の石橋を評する。
「まじめな子で副将を任せました」
3年時の全国大会県予選は96回(2016年度)。3回戦で筑紫丘に7-50で敗れた。勝てば8強だった。その後、吉瀬はチーム史上最高の4強にこの浮羽究真館を押し上げた。
吉瀬は強化と同時に愛されるチームを目指す。応援は力になる。田んぼラグビーや地域のお祭りなどに部員を派遣した。
「高校の時にはイベントやボランティアに参加しました」
石橋はそれらのことどもを覚えている。この街のことを詳しく知るのに役立った。
進路は公務員になる前提で福岡大に定めた。通称「フクダイ」は西日本の私立総合大学として、医学部を持ち、ひとつのブランドを形作っている。公務員試験のためのコースもあった。石橋は法学部に入学した。
ラグビー部は1年の時に大学選手権に出場した。54回大会(2017年度)は初戦の2回戦敗退。朝日大に22-29だった。残りの3年は九州のリーグ戦で福岡工大や九州共立大に勝てなかった。
4年時には初志貫徹で公務員試験を受けた。うきは市とともに日田市にも合格するも、故郷に対する愛は断ちがたく、うきはで市民のために働くことを決意する。
石橋は入庁5年目に入った。その2年目にルリーロ福岡が吉瀬の尽力によって産声を上げた。ラグビーによる街作りが恩師によって眼前に開かれたと言っていい。
生まれ育った地に戻り、市民のために働く石橋を吉瀬は目を細めて見つめる。
「帰ってきてくれて、心強いばかりです」
浮羽究真館で石橋はチームのために体を張った。今はそのチームを市域に替えるだけだ。恩師もいる。ルリーロ福岡もできた。力をふるえる舞台は整っている。
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