親交あるワラビーズ主将と再会へ。日本代表・小林賢太、タフなツアーで得たい「自信」

今年からラグビー日本代表となった小林賢太は、静かに燃えていた。
身長181センチ、体重113キロの左PRにして軽快なラインブレイク、パスで光る。
約9年ぶりに復帰して2シーズン目となっていたエディー・ジョーンズヘッドコーチは、『超速ラグビー』を唱える。
コンセプトに不可欠な連続攻撃にマッチしそうな小林だったが、7月の対ウェールズ代表2連戦では出番なしに終わった。同じ位置では同学年の紙森陽太、木村星南が出場機会を分け合っていた。
兵庫の芦屋ラグビースクール、東福岡高、早大を渡り歩いた26歳はこう振り返る。
「同期2人のデビューにはおめでとうの気持ちもありながら、素直に喜べなくて…。自分も準備してきたつもりだったので…」
捲土重来。夏のパシフィック・ネーションズカップ(PNC)でのデビューを目指し、8月中旬からの国内合宿をにらんだ。初日から2日間はポジション別に場所を変えての活動だったが、ここでシビアな通告を受けた。
所属する東京サントリーサンゴリアスの関係者から、働き場であるFWの東京キャンプではなく、BKの集まる宮崎へ行くよう伝えられたのだ。
FWでそのグループに行ったのは、23歳でHOの佐藤健次を含めた2人だった。宮崎にはジョーンズがいた。小林は、改めて決意した。
「佐藤健次とは『マジで、やってやろう』と」
厳しいシチュエーションに腐らなかった。「(ジョーンズの)一番、近くで努力する姿勢」を示すべく、指揮官の目の前で佐藤とスクラムを組んだ。チャンスを待ったのだ。
次第に序列を上げた。8月30日の宮城・ユアテックスタジアム仙台で初キャップを得た。PNCのプールフェーズ初戦で後半12分から出て、カナダ代表を15-57で下した。
渡米して2戦目以降に挑んでいたら、突然、先発を任されもした。
現地時間14日、デンバーにあるディックス・スポーティング・グッズ・パークでのウォーミングアップ中、本来のスターターだった木村が負傷。小林が自身2度目の1番を経験した。
好走、好スクラムでトンガ代表を62―24で制した。同20日の決勝でも立場を保ち、ソルトレイクシティのアメリカ・ファースト・フィールドでキックオフの瞬間を迎えた。
ファイナルは27-33で落とした。ただ、けが人続出の危機的状況ながら、世界ランクで4つ上回る9位のフィジー代表を追い詰めたとも取れた。
「(PNCでは)結果的に——色んなハプニング(突然の変更)もありながらだったんですけど——3回スタートで出られた。試合ごとに相手のランキングも上がり、かかるプレッシャーみたいなのもどんどん高くなっていった。ここで自分の通用する部分とまだまだやっていかなきゃいけない部分が明確になったと思います」
こう振り返ったのは、再始動後の10月7日。大分でのFW限定のセッションへ参加した後に応じた。
収穫には、もともと「課題視」していたセットピースの安定を、伸びしろには、生来なら得意だったランニングをそれぞれ挙げた。
「スクラムは毎回のトレーニングでオーウェン(・フランクスアシスタントコーチ)とコミュニケーションを取り、積み上げた。それが、テストマッチ(代表戦)に出た時にペナルティー(キック)を取ることに繋がりました。改善点は…。(国際舞台は、国内の)リーグワンで見えていたようなスペースが少ない。そのなかでどう前に出るか、ボディコントロールのところです。前に出た時の判断にも課題があります」
25日には東京・国立競技場で、オーストラリア代表とぶつかる。世界ランクで6つ上回る7位の強豪と激突するのだ。
向こうのNO8、ハリー・ウィルソン主将とは、自ら同国へ留学した昨年7月に親交を深めていた。
再会を心待ちにする。
「この前も、お互いにメッセージを…(送り合った)」
その先は渡欧し、南アフリカ代表などと連戦する。
正規の代表戦だけで合計5つというタフなゲームを通し、結果と充実感を得たい。「まずは合宿の1日1日を頑張り、自分と同じポジションの選手に負けないようにしたいです」と地に足をつけながら言う。
「いままでのラグビー人生でこんなにタフな5連戦は(ない)。絶対にきついと思いますし、感じたことのないプレッシャーもあると思いますが、高いレベルの試合ができるのはいいことです。どこかで、自信に繋がるもの(感覚)を掴めたら」
ひとつの衝突、ひとつの局面から、アスリート人生のターニングポイントを作れたら最高だ。