【ラグリパWest】若者を創る。クリス・ミルステッド [リコーブラックラムズ東京/パフォーマンスディべロップメント マネージャー]
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クリスさん、いくつになった?
「もう年金がもらえるね」
えっ、うそやろ…。映画スターのような端正な顔、その亜麻色の髪も20年前と変わらない。いい人生を送っているに違いない。
フルネームはクリス・ミルステッド。今月24日で66歳になる。今でもラグビーを教えている。リコーブラックラムズ東京の<パフォーマンスディべロップメント マネージャー>としてである。リーグワンのディビジョン1(一部)に所属する。
最初の来日は1989年(平成元)。30歳のプロ選手だった。生まれ育ったイングランドからニュージーランドを経由する。
「日本が一番長くなったね」
35年ほどこの国で暮らしている。日本人の妻を得て、一子をもうけた。
その国民性をラグビーを通して知る。
「日本人はディスシプリンがあるね。きついことを辛抱して、努力ができる」
ディスシプリン(discipline)は<規律>と訳される。この団体競技には向いている。
クリスさんは、略称「BR東京」における自分の役割を端的に説明する。
「若い選手の育成だね」
ラグビーへの向き合い方やトレーニングを個人の習慣とすることなどをミーティングや個人面談を通して若手にしみ込ませる。その上でコーチのサポートをする。
海外のアカデミーとの比較をする。
「普通は4年ね」
日本のラグビー界は大卒が中心になるので、4年で行うことをできるだけ加速させたい。
この取り組みは2年目に入った。タンバイ・マットソンがヘッドコーチ(監督)についた時に、その役割をクリスさんに託した。
「いい監督です」
マットソンはU20ニュージーランド代表のヘッドコーチなどをつとめ、ユース世代を見てきた。育成の大切さを知っている。
その効果は現れている。SO伊藤耕太郎は昨年11月、日本代表の欧州遠征に追加招集された。WTB高本とむとPR津村大志(たいし)はこの夏、その代表合宿に呼ばれている。3人とも大卒2年目である。
「うれしいかって? そうね」
クリスさんには慎み深さがある。
BR東京は昨シーズン、7位に終わった。6位までに許されるプレーオフ進出を逃した。クリスさんには新たな目標がある。
「将来的には優勝だけど、そのための第一ステップとしてトップ6に入る」
選手のカテゴリー分けも変わってくる。育成はその目標に向けて必要不可欠である。
クリスさんの出身はロンドンの南東部にあるメイドストンだった。11歳で競技を始め、21歳でニュージーランドに向かった。
「ラグビーがやりたかった」
現役時代の体格は187センチ、100キロ。
「背が低いLO、脚の遅いFL。中途半端」
目を細めて笑う。
1989年から豊田織機(現S愛知)では3年を過ごした。このチームには計3回、籍を置いた。3年の契約満了後はニュージーランドに戻る。ウエリントン協会で小学校から高校を対象とする巡回コーチを任された。青少年との最初の接点はここにある。
1994年、再来日。豊田織機でヘッドコーチ(監督)などをつとめ、11年在籍した。ここから途切れなく日本のラグビーに関わっている。その能力の高さと人柄を物語る。
豊田織機のほか、京産大、ホンダ(現・三重H)、大体大、近大などもコーチとして指導する。サンウルブズにもアナリスト(分析担当)として、結成の2016年から2年加わった。チームは南半球の国際リーグ、スーパーラグビーに参戦していた。
そして、2017年、当時のリコー、今のBR東京に招かれた。コーチやアナリストを任される。最後のトップリーグとなった2021年には、4チーム同率ながら、最高位の5位に入った。その時、クリスさんの役職はパフォーマンスアナリストだった。
この黒衣のチームに来て9年目になる。
「いいチームだよ。ファミリーという感じ。オフの日には選手の家族がグラウンドで遊んだり、BBQをしたりしている」
砧(きぬた)の緑の天然芝グラウンドは青い多摩川に沿う。都内とは思えない自然がある。時間はゆっくり流れる。
その自然を感じる登山が趣味だ。
「リラックス、リフレッシュできるね」
家族3人で白山や御嶽山などに登った。
「山の上で、ジップロックに入れた切った野菜や肉でラーメンを作る。美味しいよ」
日本一の富士山は未登頂だ。
「富士山は遠くから眺める山です」
この人にはユーモアのセンスもある。
気分転換を加えながら、クリスさんはコーチングの理論を積み上げてゆく。
「ディベロップメントは楽しい。若いうちは勝ちたい、優勝したい。それは今でももちろんそうだけど、少し変わってくる」
今は教え子たちのコーチングの噂を耳にするたびにうれしくなる。自分の教えがあとにつながっていることを認識できるからだ。
2005年からの2年間、クリスさんは京産大のコーチとして監督の大西健を支えた。2006年のチームは43回大学選手権で7回目となる4強に進出した。そして、早大に12-55で敗れた。今、その回数は11に伸びる。
その4強時のメンバーにはPR長江有祐、HO後藤満久、FB吉瀬(きちぜ)晋太郎らがいた。長江は日本代表キャップ18を得て、中部大の監督をつとめている。後藤はS東京ベイのアシスタントコーチから、今シーズン終了後、チーム採用に転出した。吉瀬は福岡にある浮羽究真館高の監督である。
その20年近く前より、経験はさらに積み増せた。今の役職は何よりそれがものを言う。良質の指導哲学に形を変えるからだ。
「コーチは広い範囲で選手に影響がある」
これからもクリスさんは若い人たちに携わられる。その成長を目の当たりにできる。素晴らしい人生であること、間違いない。