【ラグリパWest】公式戦は楽しい。喜連航平 [九州電力キューデンヴォルテクス/SO]
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公式戦に出られる。その喜びを30歳で味わっている。喜連航平である。176センチ、85キロのSOだ。
喜連は公式戦14試合中、開幕戦を含め8試合に先発した。九州電力キューデンヴォルテクスに移籍した先のシーズンである。元々のSO、そしてFBで4試合ずつを戦った。
喜連は日に焼けた顔を崩す。鷲のように鋭い目は柔和になる。
「使ってもらえたことに感謝したいです」
近大時代から右足のキックは50メートルを超えた。経験とともに前が一層見え、パスやランにも冴えを見せる。
移籍して、力を入れたことがある。
「コミュニケーションをとりました。特に後輩には気づいたことを話すようにしました」
意思疎通はこの競技、特にSOやFBは攻守において欠かせない。
九州に喜連が住むのは初めてだ。
「暮らしやすい。食事も安くて美味しいし、海なんかもきれいですね」
青い玄界灘で獲れた新鮮な魚介類。醤油タレをかけ回したゴマサバにはまっている。
喜連は略称「九州KV」に恩義を感じている。横浜Eとの2年の契約が切れた。
「その時、誘ってくれました」
まだ選手としてやり切っていない、そんな思いが強かった。
喜連の公式戦出場は0だった。2つのチームで6季を過ごした。NTTコミュニケーションズ(現・浦安DR)で4季、プロ選手になった横浜Eで2季である。
略称「Nコム」の時にはケガがあった。
「社会人1年目の開幕前に、高校時代に切った左ひざのじん帯を再断裂しました」
2、3年目も本調子に乗れなかった。
横浜Eは日本代表の2人がいた。
「いい選手がいました」
喜連が「ユウさん」と慕う田村優と小倉順平だ。キャップはそれぞれ70と4。学年差は7と3。その2人を上回れなかった。
その向かい風の中でも、特に田村を見て、SOのありようを学ぶ。
「10番には統率力と信頼が必要です」
統率力は突き詰めれば信頼だ。
「それを得るためには不断の努力です」
田村は一番練習する。喜連は真理を得る。
今はSOにはこだわらない。九州KVでは「テールズ」の愛称があるトム・テイラーがSOとして9試合に先発した。ニュージーランド代表キャップは3。喜連は話す。
「テールズはパートナーでもあり、ライバルでもある。FBで出て幅が広がりました」
公式戦に出られるのなら、ポジションはこだわらない。そんなプロ意識が透けて見える。
円熟味が出てきた喜連が競技を始めたのは白ゆり幼稚園である。年中の4歳だった。
幼稚園は兵庫県の伊丹にある。
「ヘッドキャップをかぶってやっていました。フルコンタクトをやっている幼稚園は日本でここだけだと思います」
園長の垂優(たれ・まさる)は伊丹ラグビースクールも作った。
喜連はそのスクールで中学までラグビーを続けた。天王寺川中では陸上部に入った。
「近畿大会のリレーに梶村と出ました」
梶村祐介は横浜Eの主将。報徳学園から明大に進んだ。CTBとして日本代表キャップは5を持っている。
地元の高校に進学した梶村と違い、喜連は大阪桐蔭を選ぶ。父・正則がラグビー部員ではないが、近鉄につとめている。
「小さい頃から、花園ラグビー場にはよく連れて行ってもらいました」
大阪にはなじみがあった。監督の綾部正史も誘ってくれた。
大阪桐蔭では3年時にSO主将として春の選抜で初優勝する。初の全国大会制覇を目指したのは93回大会(2013年度)。喜連は初戦の國學院栃木戦で左ヒザのじん帯を断裂する。喜連を欠いたチームは初の4強入りを果たすが、桐蔭学園に0-43と大差で敗れた。
近大に入ってもケガの余波はあった。
「大学1年の時はリハビリに時間がかかりました。4年間、もがいている状況でした」
学年で温度差もあった。主将についた4年時は関西リーグ7位。入替戦では龍谷大を69-28。Aリーグ(一部)に残留した。
そんな経験も活かしながら、喜連は3年前、一般社団法人「Joynt」(ジョイント)を立ち上げた。代表理事につく。メンバーは5人。喜連はNコム時代、人事部にいた。
Joyntはラグビーを中心にスポーツを活用したアスリートのキャリア支援や交流イベントなどを行う。今月2日には関西大のラグビー部3年生を対象に<就職セミナー>を開き、就職活動への心構えを説いた。
Joyntの活動にはアルツハイマーの啓発も含まれている。
「僕の母がアルツハイマーでした」
母・規子は昨年亡くなった。54歳だった。長男の喜連のことも忘れてしまう。
「母に向き合えませんでした」
その後悔をほかの人にはさせたくない。
母が残してくれた弟妹は2人。ひとつ下には弟の大稀(だいき)。CTBなどで大阪桐蔭から天理大を経て、大阪府警でプレーをした。4つ下の妹は彩(さやか)。松竹芸能所属のタレントとして活動している。
弟妹のためにも頑張る姿を見せたい。九州の地はそのためにはうってつけ。気候が温暖で人気(じんき)のよさがある。喜連は今、明るい光を浴びている。
5月に終わったシーズン、九州KVはディビジョン2(二部)の6位だった。5勝8敗1分。勝ち点25である。
「目標はディビジョン1に上がること。そのためにも試合に出続けたいです」
今までの悩みや苦しみをすべて糧として、呼んでくれたこのエンジ色のチームのために、これからも奮闘してゆく。