コラム 2025.08.14

【ラグリパWest】日本を出世の地に。ラトゥ・カヴェインガ・フォラウ [LATU・Kaveinga・Folau/目黒学院高校3年生/FL]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】日本を出世の地に。ラトゥ・カヴェインガ・フォラウ [LATU・Kaveinga・Folau/目黒学院高校3年生/FL]
目黒学院高校ラグビー部の軸のひとりである 3年生のラトゥ・カヴェインガ・フォラウ。 脚の速いFLである。手に持つピンクのヘッドキャップは母国、そして高校の先輩であるシオネ・ポルテレ(京産大4年)からもらった

 トンガは南太平洋の島しょ国だ。そこに祖を持つラトゥ一族はラグビーに長ける。

 シナリ・ラトゥは日本代表キャップ32を得る。大東大から三洋電機(現・埼玉WK)に進んだ。力強いNO8だった。1987年に始まったW杯に3大会連続で出場する。

 その血を受け継ぐひとりがラトゥ・カヴェインガ・フォラウである。<LATU・Kaveinga ・Folau>。日本風にそのネームはファミリー、ファースト、ミドルと続く。175センチ、88キロのFLである。

 ラトゥの父・キリフィーも7人制のトンガ代表だった。主将もつとめた。シナリは父の兄にあたる。ラトゥもまた伯父と同じく日本に留学している。中学から東京にある私立の目黒学院に入った。今は高校3年生だ。

 瞳の白と黒が鮮やか。ラトゥは濁りのない目をまっすぐ向ける。
「日本はトンガより暑いです。でももう慣れました。みんなは優しいです」
 瞬く間に褐色の顔は笑み崩れる。

 味覚も合う。楽しみは仲間と行くラーメン。行きつけは東急の学芸大学にある。学校最寄りの中目黒から2駅先になる。
「美味しいです。いつも一番大きいラーメンとごはんを食べます」
 家系のとんこつ醤油味はするする入る。

 日本に慣れたラトゥの持ち味のひとつは、関西弁で「えげつない」と表現できるタックルだ。1年の國學院久我山戦で、CTBとしてラインアウトから瞬足で出て、相手を吹き飛ばす。衝撃が聞こえてくるような映像が残っている。103回全国大会の都予選決勝だった。

 その強烈なタックルを軸に、目黒学院は15-12で全国への扉をこじ開ける。OB監督で情報科教員の竹内圭介は覚えている。
「下馬評は久我山がかなり上でした」
 この時の勝利も含め、今は全国大会の連続出場を5に伸ばす。2013年の93回大会以来から数えれば、都において最長。出場回数は積み重ねて23とする。

 ラトゥは話す。
「タックルは好きです。相手を倒せたら気持ちがいいです」
 個人練習では1対1のタックルを続ける。
「ステップを踏んでもらってそこに入ります」
 いつも20分ほど自分の強みを磨く。

 元々、竹内の目を引いたのは、「異次元」と言うそのスピードだった。
「ラトゥの時はコロナの余波でトンガに行けなかったので、映像で確認しました」
 竹内は責任を持って子供たちを預かるため、毎年夏前に現地に飛び、面接をする。

 このトンガからの留学生制度は2012年の高校入学組からスタートした。もう13年になる。その目的はラグビーの名門復活のためだ。第一号はアタアタ・モエアキオラとテビタ・タタフ。日本代表キャップはそれぞれ4と20。アタアタは神戸SのWTB、テビタは東京SGのNO8である。

 目黒学院の以前の校名は目黒だった。ちょうど30年前に改称し、同時に付属中学も作った。目黒の時代、全国大会の優勝、準優勝はともに5回を誇った。優勝回数は歴代5位タイ。創部は1959年(昭和34)。初代監督の梅木恒明が朝5時から始まる猛練習でエンジのジャージーを鍛え上げた。黄金期は1970年あたりからの10年ほどである。

 ラトゥはその復活を託されながら、生徒の本分、学業も怠りない。竹内は評する。
「勉強も一生懸命やっている。まじめです」
 ラトゥは話す。
「ひらがな、カタカナ、漢字、国語の先生が教えてくれます。大丈夫です」
 同級生に同じトンガ留学生であるロケティ・ブルース・ネオルがいることも心強い。ロケティは破壊力のあるNO8である。

 ラトゥは今年5月に18歳になった。ラグビーを始めたのは13歳。トンガカレッジアテレに入学後である。父のキリフィーの影響だ。日本に来た理由を説明する。
「竹内先生に最初に声をかけてもらいました」
 ニュージーランドやオーストラリアに先んじて、竹内はアプローチをかけた。

 その目は正しく、ラトゥもロケティもともに高校日本代表候補に選ばれている。ラトゥは昨年7月、左肩を脱臼した。
「トライでボールをダウンする時でした」
 いわゆる<自爆>に苦笑する。2年生の肝心な秋を棒に振りながらの代表候補入りは、能力の高さを示している。

 そのラトゥを含め、目黒学院は先月21日から4泊5日で恒例の関西遠征を実施した。24日には関西学院の兵庫・西宮のグラウンドで彩星工科を交えて、20分ハーフの練習試合をこなす。関西学院には14-12、彩星工科には19-0の勝利にラトゥは貢献した。

 その時のラトゥのヘッドキャップはピンク色。目黒学院は公式戦では黒色のそれをかぶるが、練習試合は好みに任される。
「先輩からもらいました」
 シオネ・ポルテレ。同じトンガ出身で、4学年上の中高の先輩は、京産大で学生屈指のNO8に育っている。
「めちゃめちゃすごい。ああなりたいです」
 憧れを常にそばに感じている。

 ラトゥは最終学年の目標を話す。
「日本一になりたいです」
 豪快なタックルを決めた1年時、目黒学院の全国大会は3回戦敗退。佐賀工に14-45。脱臼の2年時はBシードながら、初戦の2回戦で報徳学園に敗れた。12-28だった。

 ラトゥの「日本一」は決して掛け声だけではない。目黒学院は今年3月の26回選抜大会では1回戦で京都成章に12-19で敗れた。京都成章は準優勝する。6月の関東大会はその選抜を制した桐蔭学園に14-17。3点差の惜敗だった。

 ラトゥは個人的にも勝利にかける思いは強い。5人兄弟の一番上。日本的に書けば<長男坊>だ。第一子としての威容を見せ、後に続く弟妹のための目標となりたい。勝つことはまた、家族のためでもある。

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