コラム 2025.08.11

【ラグリパWest】笛の道にとりつく。薄侑馬 [ルリーロ福岡/チームレフリー]

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】笛の道にとりつく。薄侑馬 [ルリーロ福岡/チームレフリー]
ルリーロ福岡のチームレフリーになった薄侑馬さん。B級レフリーの資格を持ち、冬の高校全国大会で笛を吹くことを目標にしている。普段は福岡県の西南部にある大木町の「地域おこし協力隊」として、同町に住み込み、その発展に力を注ぐ

 ここにもまた、ラグビーのレフリーに人生をかける若者がいる。

 薄侑馬(すすき・ゆうま)である。つるっとした中の射るような眼が印象的だ。
「試合後の、ありがとう、が嬉しいです。あの笛はよかったね、とレフリーを見てくれている人もいます」
 やりがいは十分にある。

 薄は23歳。ラグビーに本格的に取り組んだのは浮羽究真館だった。福岡の南東部にある県立高校で、監督で保健・体育教員の吉瀬(きちぜ)晋太郎に教えを受けた。

 その3年間を振り返る。
「レフリーにめちゃめちゃ文句を言って、めちゃめちゃ吉瀬先生に怒られました」
 レフリーに対する尊敬をこんこんと説かれた。いなければ、試合は成り立たない。うまい、下手ではない。

 薄の批判の底にはチームの強さもあった。勝ちにこだわる。3年の2019年、県大会の4強に2回進む。新人戦と春季大会。1965年(昭和40)の創部以来、初の快挙だった。薄は175センチ、69キロのFBだった。

 その秋、全国大会予選(99回)は8強戦で敗れる。谷山隼人(はやた)が主将として率いた福岡に14-49。谷山はバックローなどをこなし、筑波大から埼玉WKに進んだ。

 薄はラグビーによる大学進学をしなかった、いや、できなかったと言っていい。
「脳震とうがクセになっていました」
 吉瀬は振り返る。
「体の状態が万全なら、獲ってくれる大学はいくらでもあったと思います」
 卒業後はスポーツ系の専門学校に通った。

 選手として競技を続けるのは難しい。一方、レフリーなら脳震とうは関係ない。薄はその道に分け入ってゆく。
「今はまだうまくないです」
 薄は両チーム計30人に目を向ける難しさを感じている。高校時代の自己肥大した自分はもういない。成長する。

 今、薄はB級レフリーだ。その階級はおおむね4つに分かれている。上からA級、B級、C級、スタート。薄のB級は関東、関西、九州の三地域のラグビー協会に属し、その各協会が主催する試合を担当できる。

 薄の所属は九州協会。今年5月、そのレフリーアカデミーに選ばれた。
「人数は4人。僕が最年少でした」
 アカデミーへは将来有望とされるレフリーが抜擢される。薄は流れに乗った。

 週の平均的な動きについて話す。
「水曜は浮羽究真館につきます。週末はどこかしらで笛を吹いています」
 空いている日はジムにゆく。レフリーは選手について全速力で走らないといけない時もある。それに耐えうる体を作る。

 薄は今年4月、ルリーロ福岡のチームレフリーになった。このチームは吉瀬が、代表についた島川大輝と3年前に立ち上げた。所属はリーグワンのディビジョン3(三部)だ。

 チームは薄の生活が立ちゆくようにする。同じ時期、大木町の<地域おこし協力隊>に派遣した。この協力隊はチーム、町、そして商工会の連携協定で作られている。メンバーはWTBの黒川ラフィと2人である。

 町の読みは「おおきまち」。福岡の西南部、緑の筑後平野にある。いちご、アスパラガス、きのこなどの栽培が盛んだ。町域は18平方キロメートル。東京ドームに換算すると390個ほど。14000人弱が暮らしている。

 薄は実家のある久留米から大木町に引っ越した。その仕事を説明する。
「小学校や幼稚園での運動教室だったり、町の課題の洗い出しなんかですね」
 子どもたちへの運動の種類や教え方は専門学校時代に学んだ。卒業後は通信制の大学に編入。薄は大卒の資格を持っている。

 ルリーロ福岡としての仕事のひとつは、町のお祭りなどイベントに参加して、チームを周知徹底させ、応援にまで導くことだ。
「町のみなさんはすごく優しいです」
 町役場の職員たちも、来庁者にはあいさつを欠かさない。礼儀正しい。

 薄がその人生の軸になるラグビーを始めたのは5歳、幼稚園の年中である。りんどうヤングラガーズに入った。
「父がやっていました」
 りんどうはチームが活動する久留米を、江戸時代に領した有馬氏の家紋のひとつである。薄はここに中学卒業までいた。

 中3の時、通っていた久留米の中学に吉瀬が勧誘にやって来る。
「規則で生徒には会えないのに、吉瀬先生は来てくれました。浮羽究真館に決めました」
 その来訪は担任が教えてくれた。

 吉瀬はこの8月で不惑の40歳を迎える。行動力のある指導者だ。薄は言う。
「僕が今あるのは先生のおかげです」
 吉瀬は浮羽究真館の前身、浮羽のOB。大学4強を誇る京産大に一般試験で入学し、「不可能」と言われた公式戦出場をFBとして果たした。薄の入学時には温泉旅館に話をつけ、寮としてラグビー部員を下宿させた。

 吉瀬への感謝を常に胸に秘めながら、薄にはレフリーとしての目標がある。
「花園に行きたい。高校で行けていません」
 花園とは冬の全国大会のことである。大阪の花園ラグビー場で開催される大会において、レフリーを任されたい。そのために大切にしていることが2つある。

「ゲームの流れを見ることです。選手たちが何をしたいのかを考えて、アドバンテージのルールを使いたい。そして、コミュニケーション。選手たちとの信頼関係は大切です」

 めちゃめちゃ文句を言って、吉瀬にめちゃめちゃ怒られたことは、このためにあったのだろう。薄は選手たちに気持ちよくプレーしてもらうことに心を砕く。スタートラインをそこに設定して、これからも歩みを続ける。

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