コラム 2025.07.31

【コラム】万感の大舞台へ。

[ 直江光信 ]
【コラム】万感の大舞台へ。
ワールドカップで勝つ難しさを身をもって実感してきた。「相手のプレーに受けるのではなく、自分たちから前に出ることが大事」と語る(撮影:福島宏治)

 津久井萌のプレーを初めて見たのは、2011年の夏だった。

 全国各地のラグビースクールで活動する小学校高学年カテゴリーの少年、少女ラガーの交流の場として創設された『SEINANラグビーマガジンカップ』に、本稿筆者は当初からスタッフとして運営に携わっている。毎年7月に菅平高原で開催されるその関東大会に、当時6年生の津久井が出場していた。

 所属する高崎ラグビークラブの境野幸夫コーチは以前からの知人で、雑談の中でこう教えてくれた。

「今年のウチのエースは女の子のハーフ団です。注目してください」

 開会式や記念の集合写真撮影を済ませ、迎えたキックオフ。小柄なSHのハツラツとした動きは、注目するまでもなく視界に飛び込んできた。

 まるで疲れなど感じないかのように走り続け、ラックができるや球を掘り出して軽快にパスをさばく。タックルも勇敢だ。非凡なビジョンとしなやかなランを誇るSO、笠原きららとのコンビは、文字通りチームの中枢にして大会随一の存在だった。

 今の状況を考えれば「将来必ず日本代表になると想像できた」なんて書きたいところだけれど、白状するとその時はそこまでは思わなかった。小学生世代のパフォーマンスは、競技歴や体の発達度に左右される部分が大きい。みずからの眼力不足は認めるとして、「まだ小学生。過度な期待は禁物」との思いもあった。

 彼女のプレーをふたたび目にしたのは、それから6年後の2017年だ。高校3年生になった津久井萌は、なんとサクラのジャージーに袖を通してワールドカップの舞台に立っていた。

 ポイントからポイントへスピーディーに移動し、低い姿勢から鋭いパスを放つ。その姿をテレビの画面越しに見て、何ともいえない感慨が湧き起こった。あの時の少女が、海外の列強を相手にこんなに堂々と戦っているなんて。言葉をかわしたこともないのに、なんだかとても誇らしかった。

 17歳にして大会ベストフィフティーンにも選出された記念すべき初出場のワールドカップから8年。津久井はこの夏、自身3度目となる世界最高峰のトーナメントに臨もうとしている。女子日本代表で歴代2位の41キャップを有する、洗練されたシニアメンバーとして。

 ワールドカップ前の国内での最後のトレーニングマッチとなった7月26日のスペイン戦後。ミックスゾーンで報道陣に囲まれた本人が、本番に向けた決意を語ってくれた。

「過去2回のワールドカップで結果を出せていないので、結果を出したいという思いが一番強いです。今日もこれだけ多くの観客の方が見にきてくださって、注目のされ方が過去2回の時とは違うと感じています。その中で、しっかりと結果を残したい」

 2017年のアイルランド大会(11位)、2022年のニュージーランド大会(プール戦3敗)で痛感したのは、ワールドカップ本番ではどのチームも別人のようになるということだ。目の色を変えてねじ伏せにくる相手に対し、それを上回る気迫で挑まなければ勝負の土俵にすら上がれない。その凄みを知る者として、率先して姿勢を示さなければならないと自覚する。

 慣れない異国の地での何週間にもわたる遠征では、思いもしないようなことがしばしば起こる。そうした中で心身のコンディションを整え、ゲームでベストのパフォーマンスを発揮することも、ワールドカップで結果を残すための重要なテーマだ。この点でも、これまで積み重ねてきた豊富な国際経験は大きな意味を持つだろう。

 実績をたどれば順調そのものに映るキャリアだが、実は2017年のワールドカップ出場後、思うようなプレーができず苦しんだ時期があった。自分が成長している実感を得られず、代表活動でも1学年上の阿部恵のバックアップに回ることが増えた。2022年のワールドカップは、全3試合に出場したもののすべてベンチからのスタートだった。

 それでも気持ちを切らさず、これまで以上にひたむきに努力を重ねて、トップフォームを取り戻した。2023年からはふたたび先発に起用されるゲームが増え始め、2024年はテストマッチ10試合中9試合で9番を背負った。今は表情からも、自信がよみがえったことがうかがえる。

「8年前のワールドカップの時は順目に攻める戦術だったので、とにかくパスすることしか考えていませんでした。でも今は、スペースを探したり、テンポをコントロールしたり、SHとしての仕事が増えた。そこは、以前とは違う部分だと思います」

 過去2回とは違う結果を出せそうな感覚はありますか。そんな質問に、こう表情を引き締める。

「しっかり準備して、結果を出します」

 報道陣の輪が解けた後、申し訳ないと思いながら呼び止めて声をかけた。

――ラグビーマガジンカップで初めてあなたのプレーを見た時の印象を、今でもよく覚えています。

 途端にパッと笑顔が浮かんだ。

「高崎ラグビークラブでラグビーの楽しさを教えてもらいました。あの頃から、自分の気持ちはずっと変わってなくて。ただうまくなりたい、勝ちたい、と」

 そして続けた。

「小さい時から父が撮ってくれたビデオが家に残っているんですけど、今でもあの時の試合をたまに見ます。それくらい、好きな試合です。チームとしてすごく目標にしていた大会で、みんなで勝ったという思いがすごく強くて」

 25歳で迎える3度目のワールドカップ。そんな思いを、今度こそあの舞台で味わいたい。

【筆者プロフィール】直江光信( なおえ・みつのぶ )
1975年生まれ、熊本県出身。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。早大時代はGWラグビークラブ所属。現役時代のポジションはCTB。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)。ラグビーを中心にフリーランスの記者として長く活動し、2024年2月からラグビーマガジンの編集長

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