【コラム】選抜の取材現場――カントク群像劇

全国高校選抜大会の主要会場となる熊谷ラグビー場Aグラウンド。取材者が話を聞ける、いわゆるミックスゾーンはメインスタンド側の入退場口のそばにある。
準決勝がおこなわれた3月29日は、あいにくの雨だった。京都成章がモールを押し切って東福岡を破った第2試合を見終え、4階の記者席を立ち、1階のミックスゾーンへと向かう。到着後はなにをするでもなく、選手や関係者がひっきりなしに行き来するスペースをうろうろしながら、お目当ての取材対象者の登場を待つ。
すると、傘を杖みたいに突いて立つ、初老の紳士が目に入った。初老といっても背すじは伸びて、佇まいが美しい。どことなく品もあって、高級寿司店の大将のような雰囲気も漂う。「渋い人がいるなあ」と目を奪われていたら、顔に見覚えがあることに気づく。「だれだったかな…」としばらく考えて、ふと思い出した。
「ああ、成章の湯浅さんだ」
湯浅泰正さん。61歳。京都成章ラグビー部をいちから作り上げ、全国屈指の強豪に育てた初代監督である。2022年度の花園を最後に退任し、いまは総監督、校長の立場で35年も指導してきたクラブを見守っている。
こちらは初めて高校ラグビーの全国大会を取材するので、面識もなければ言葉をかわした経験もない。ただ、その2週間ほど前、編集部の明石尚之さんに「この記事、面白いですよ」と言われ、ラグビーマガジン本誌の2023年5月号を手渡された。
開かれたページが、その湯浅さんの勇退を特集した「人物往来」。ジャージ姿でベンチに座り、メガネを頭頂部に乗せて、穏やかな眼差しをカメラに向けた写真が大きく掲載されている。その顔を思い出した。
成見宏樹さんが取材、執筆した記事は、明石さんの言う通り面白かった。以下はその一部引用。
夏の菅平高原。高校日本代表の合宿に、必死で見入った。無断でビデオも回した。「そこで何してる!」見つかって一喝された。茂みから出ていくと「あ、こいつ京都の湯浅ですよ」と間に入ってくれたのが当時高校代表コーチだった滋賀・八幡工、岩出雅之監督だった(現・帝京大総監督)。他の先生も「おもろい奴」と気に入ってくれ、選手のミーティングまですべて見せてくれた。
まだまだ花園も遠かったクラブ草創期のエピソードだ。名だたる先輩指導者のコアの部分を吸収して、その大舞台での最高成績は準優勝。監督業33年目、第100回の記念大会での出来事だった。
湯浅さんに限らず、選抜のベスト4にもなると、各校を指導する監督には風情や趣がある。
その成章に敗れた東福岡の藤田雄一郎監督。おそらく180センチを超える長身で、体型もスリム。紺のジャケットが妙に似合っていた。
試合後、ロッカールームを出ると、ミックスゾーンを足早に通り過ぎていく。その足がとにかく速い。黒いダウンジャケットを着た記者が後を追い、出口の扉を出たところで捕まえるも、数秒だけ言葉を発して姿を消した。
いつもの様子は知らない。昨季は苦しんだだけに、この大会には相当期するものがあったはず。有利を予想されての完敗に、心が少しばかり荒れていても不思議ではない。
そういえば以前、松山聖稜の渡辺悠太監督に聞いた。
「あの人はすごいですよ。花園で優勝した次の日にリクルート行ってましたから」
きっと、この先のチームづくりで頭の中がいっぱいだったのだろう。
第1試合で御所実に完封勝利を収めた王者、桐蔭学園の藤原秀之監督は大変失礼ながら、一見、「どこにでもいそうなおっちゃん」。でも、すごく優秀なビジネスマンのようで、それでいてラグビーの指導者だから、ちゃんと土や芝の匂いがする。
そしてなにより、言葉が途切れない。録音データを確認すると、カコミ取材の対応時間は準決勝が約10分。決勝はその倍のおよそ20分。記者が発した短い単語に即座に反応して、質問が終わる前に答え始める場面もたびたび。内容の重複する質問にも嫌な顔をしないどころか、脳内に常に言葉が浮かんでいて、それを次から次へと消化していくイメージ。よく使われる表現を借りれば、頭の回転が早い。
翌々日の決勝。京都成章をくだして5度目の優勝を果たし、取材対応を終えると、近くにいた湯浅さんに駆け寄った。お互いの腰に手を回し、にこやかに話し始める。
花園と選抜、全国大会での直接対決は7度。本気でぶつかり合った過去があるからこそ、還暦前後のふたりが妙に親密な距離にいても嫌な感じがしない。
ちなみに結果はすべて藤原監督…ではなく桐蔭が勝った。
数メートル離れたところにいたうえ、こちらに背を向けていたので、話の中身までは聞き取れなかった。年齢は湯浅さんが4つ上。後輩指導者が「また勝たせてもらいました」と軽口を叩いて、会話が始まったのかもしれない。
湯浅さんを見ていて、もうひとつ思い出した。
自身、最後の指揮となった花園でのJ SPORTSの中継。ゲスト解説で放送席に座った、御所実の竹田寛行監督に「ペテン師」と表現されて話題になった。
時間を戻して、準決勝の第1試合。その竹田監督はミックスゾーンに姿を現わさなかった。
選手への取材にかかりきりで、筆者が気づかなかっただけかもしれない。あるいは64歳のベテラン監督だけに、熊谷の裏導線まで知り尽くし、だれにも悟られずそっと帰路についていたのだとしたら、それはそれで魅力に感じてしまう。
最後に、湯浅さんの跡を継いだ、成章の関崎大輔監督。
4強の指導者では飛びぬけて若い35歳。小柄な元フランカーは誠実に、明朗に答えてくれる。とはいえ監督歴はまだ2年。チームを率いる立場として取材を受ける自分に少し照れた感じも見え隠れする。
桐蔭にはかなわなかったが、準優勝は見事な成果だ。
「師匠からは、なにか言葉をかけられましたか」と、余計なことを聞いてみた。
「僕は毎日、怒られてばかりなんで」
このときは不思議と恥じらうような気配はなかった。