【ラグリパWest】テンリ・ドリーム。トゥポウ・トゥリマファ[天理大学/センター]
姓はトゥポウ、名はトゥリマファ。出身はトンガ王国である。
18歳の男子は視線をまっすぐに向ける。褐色の丸顔の中にある双眸は澄んでいる。白い部分が鮮やかに光る。
「1年生からAチームに入りたいです。そして、将来は日本代表になりたいです」
目標は現実味を帯びる。この4月、天理大学入学時の肩書は「高校日本代表」である。
監督の小松節夫は新人に対して、珍しく断定的な言葉を使う。
「いいよ。試合のメンバーに入って来るやろね。位置はセンターかなあ」
普段の小松は慎重である。その常を破る力をこの留学生は持っている。
185センチ、105キロの体。3人に絡まれても前に出られる。
「自信があるのはフィジカルです」
ギャップを射貫くスピードもある。パスも柔らかく正確だ。小松は評する。
「うまいよね」
小松は現役時代、同じポジションだった。1980年度の高校日本代表である。
トゥポウは先月、高校日本代表のアイルランド遠征に参加した。U19アイルランド代表2試合を含む3試合すべてに先発する。
「最後は1点差で負けました」
最終のU19戦は41−42。3戦全勝とはいかなかったことに悔いがある。
天理を選んだのはシオサイア・フィフィタの母校ということもある。日本代表キャップ11のウイングにあこがれを持っている。
「自分もそうなりたいです」
5学年上の先輩、「サイヤ」は現在、花園L(旧・近鉄)に属している。出身高校もともに日本航空石川だ。
OBコーチの八ッ橋修身は比較をする。
「今のこの入学時期だけをとれば、トゥポウの方がサイヤより上だと思います」
周りを生かせる部分での判断だろう。八ッ橋は49歳。神戸製鋼(現・神戸)でプレーした。速さと強さを兼ねたフルバックとして日本代表入り。キャップは12を得た。
トゥポウやサイヤが生まれ育ったトンガは南太平洋の島しょ国である。トゥポウの実家があるのはペア。首都・ヌクアロファの郊外になる。8歳で地元クラブのGPSアテレで競技を始めた。ラグビーは同国ではメジャースポーツだった。中学は日本への留学生が多く出るトンガ・カレッジに入学した。
高校で来日した。
「小さい時から行きたかったのです」
8歳上の従兄は、すでにサクセス・ストーリーを描いていた。アタアタ・モエアキオラ。リーグワンの神戸でウイングなどをこなす。日本代表キャップは4を持っている。
トゥポウの父・タカイは、アタアタの父の弟になる。アタアタは同じ中学から、目黒学院、東海大と進み、神戸に入団した。
「去年の冬、神戸に泊めてもらって、おすしやステーキをごちそうになりました」
同じ戦士の血筋として、トゥポウは可愛がられている。
そのおすしが好きな食べものだ。
「サーモンが大好きです。最高は18皿食べました。それ以外も食べました」
36貫だけではない。若い胃袋は大きい。
「納豆も頑張って食べました」
好き嫌いはない。強靭な体が作られる。
小松はその成長を語る。
「入学前に見た時は、カリカリやった。でも、大きくなって入部してきてくれた」
昨秋から5キロ以上は体重を増やす。
「ごはん、めっちゃ食べました。3杯。それまでは1杯でした」
増量は最後の花園大会を見据えてだった。
この冬の102回全国大会、日本航空石川は18年連続18回目の出場を果たす。戦績は2回戦敗退。長崎北陽台に19−28だった。
「北陽台はFWが強かったです」
トゥポウは副将としてチームをまとめた。
2年時の大会は1回戦負け。中部大春日丘に5−33。1年時はメンバーに入っていない。来日はその年、2020年の11月だったからだ。コロナで入国が遅れた。
石川県でも北部の輪島にある学校に着いたのは白いものが交じる時期だった。
「初めて雪を見ました。きれいだな、と思いました」
常夏のトンガにはない寒い冬も3回体験した。天理の街の底冷えにもこたえない。
「いいところです。みんな優しい。気軽に声をかけてくれます」
これから4年間の新生活に不安はない。
入学は国際学部。地域文化学科の留学生のみで構成される日本研究コースに籍を置く。「趣味」ときかれて、こう答えた。
「日本語の勉強です」
大学の講義につらなる、半年以上遅れた入国のハンディを取り戻す姿勢がある。
ラグビーの練習も期せずしてエキストラが入る。丘陵地にあるグラウンドまでは自転車で移動する。電動機はついていない。
「30分くらいかかります」
練習は朝夕2回。足腰はさらに強くなる。
トゥポウは早くも4月16日の関西セブンズ(7人制大会)に出場した。
「入れてもらえるとは思っていませんでした」
12校が参加した大学の部では4強敗退。優勝する摂南に7−34だった。勝ち負けはともかく、すでに学生のコンタクトを経験する。
漆黒のジャージーをまとうチームで成功をつかみ取りたい。それは、トゥポウにとって、アメリカン・ドリームならぬ、「テンリ・ドリーム」になってくる。