国内 2023.04.26

タックル人生。粕谷俊輔[東京ガス/FL・NO8]

[ 編集部 ]
タックル人生。粕谷俊輔[東京ガス/FL・NO8]
両耳ギョーザで経理部勤務。182センチ、94キロ。31歳。(撮影/松本かおり)



 子どもが生まれたとき、「タックルの子だな」と言われた。
 筑波大学時代、ラグビーマガジンに自分の記事が載った際のタイトルが『タックルの子』だった。

 ラグビーマンとして、タックルといえば…と名前を思い出されるプレーヤーとなるのは、ひとつの夢だ。
 それを地でいった粕谷俊輔(かすや・しゅんすけ)が現役生活に終止符を打った。
 2014年春に入社した東京ガス(トップイーストリーグAグループ)のラグビー部で9年間プレーした。

 小3のとき、友だちに誘われて浦和ラグビースクールに入った。高校(県立浦和)、大学(筑波)、そして社会人ラグビーの舞台で、何度タックルしてきたかわからない。
 信頼の厚い選手だった。

 全力で相手に刺さってきたから、肩のケガは少なくなかった。
 2021年度シーズンの終盤にも左肩を痛めた。手術をすれば全治1年。それなら、体にメスを入れるのはやめて治し、1シーズンやり切って引退しようと決意した。

 覚悟を決めて臨んだシーズンは出遅れるも、6試合で7番を背負った。
 ラストゲームとなったのは、3地域社会人リーグ順位決定戦の大阪府警察戦。80分ピッチに立ち続けてタックルの日々を終えた。

 チーム内の表彰がおこなわれる中、みんなの後方に立っていた。涙がこぼれた。
「終わったんだな、と」感情があふれた。

「(肩のケガで)自分の思い描いたプレーができる状態ではなかった。やりたいタックルができなくなっていた」と、あらためて引退の理由を話す。
 タックルに痛みを感じることもあった。

 メンバーに選んでもらったからには責任を果たす。
 それは貫いた。
 しかし、以前とは違う自分のプレーに納得できなかった。そして、若手が試合に出られないことを受け入れられなかった。

「一昨季までキャプテンを務めていました。そうでなくなってすぐ、(チームを)投げ出すように辞めるのは嫌だったことも昨季残った理由の一つでした。でも、リハビリを終えて遅れてチームに合流したとき、いいチームになっていると感じたんです。それで、もう自分は必要ないな、と思いました」

 武器のタックルは学生時代に磨いた。
 浦和高校時代、小林剛監督に徹底的に仕込まれた。自分たちが県内の強豪校に勝とうと思えば、タックルをチームの軸とし、尖らせないといけなかった。

 そんな環境の中に身を置き、花園出場にこそ届かなかったものの高校日本代表に選ばれた。
「ただ高校時代は、ボールキャリーもやるような、幅広くプレーする選手でした。筑波に入って、うまい選手たちが周囲に増えたので、ボールを持つ機会が減りました。それで、自分のプレーをいろいろ削っていき、残ったのがタックルとサポートプレーでした」

 引退を決めて両親と残してきた足跡を振り返った時、記憶に残る試合がいくつかあがった。
 高3時、埼玉県花園予選の準決勝で正智深谷に勝った。
 大学3年時には帝京大学に勝ち、関東大学対抗戦優勝。大学選手権の準決勝では東海大に逆転勝ちし、決勝に進出した(自身が逆転トライ!)。

 東京ガスでも、2019年度や2022年度など、優勝したシーズンの記憶は深い。
 ラストシーズン、秩父宮ラグビー場でヤクルトと競った80分もいい試合だった(21-16)。

「個人としてのパフォーマンスでは、大学3年の時の、帝京に勝った試合(24-10/2012年12月1日、秩父宮ラグビー場)がベストかもしれません」

 タックル、またタックル。成功率は100パーセントだった。相手のメンバー表には、SH流大やCTB中村亮土など、のちのワールドカップメンバーやトップリーガーがずらり並んでいた。

 大学卒業時はトップリーグチームからも誘われる中、東京ガスを選んだ。真っ先に声をかけてくれたことと、自分の描く人生設計に合っていたからだ。

 学生時代、文武両道の道を歩んだ。当時の記憶を「常に両方を100パーセントでやっているわけではなく、100パーセントでラグビーをやり、空いた時間に勉強にも全力で取り組む、という感じだったと思います」と振り返る。

「ただ会社に入ってからは、同時に仕事も100パーセント、ラグビーも100パーセントという毎日でした」
 簡単ではない。でも、自分が選んだ道だからやり抜いた。

「周囲に融通をきかせてもらい、ラグビーをさせてもらっている。仕事に100パーセントでない人は応援はしてもらえないと考えていました。仕事もしっかりやっている中で取り組んでいるラグビーを見せたいと思っていました」

「やり切った」と言い切れるラグビー人生。「試合に出られない時期、ケガに苦しんだ時期もありましたが、しあわせでした」と笑顔を見せる。
 これからはスタッフとしてチームを支える。採用担当として、学生たちと話す機会もあるだろう。
 いい話ができそうだ。


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