国内 2023.04.04

ありがとうしか言えない。三浦惇[東京ガス/WTB]

[ 編集部 ]
ありがとうしか言えない。三浦惇[東京ガス/WTB]
178センチ、82キロ。「アツシ」と親しまれた。(撮影/松本かおり)



 泣きそうでした。
 28歳になっても素直にそう言える。
 ラグビーのお陰だ。

 昨季トップイーストAグループ、3地域社会人リーグ順位決定戦を制した東京ガスラグビー部の三浦惇(あつし)が、2022年度シーズンを最後に現役生活を終えた。

 3月のチーム納会時、引退者は仲間に挨拶をすることになっていた。
 三浦は会場のクラブハウスに着く頃から、涙をこらえていた。
「他の人たちが流暢に話す中、自分はみんなの前で、感謝の気持ちを伝えることしかできませんでした。その気持ちしかなかった」

 この記事の取材も、一度は断った。
 たいした話なんてできない、と思ったからだ。
 でも来てくれた。
 想い出を語ろうとすると、やはり目頭が熱くなる。
「きょうも、泣きそうです」

 市立船橋高校でラグビー部に入ってから、13年間楕円球を追い続けた。高校卒業後、習志野自衛隊で4年を過ごし、現チームへ。
 6年間、主にウイングでプレーした。

 公式戦への出場記録は、春季交流戦などわずかだった。引退は自分で決めた。
 ガス工事の設計をしている。特にこの2年は多忙を極め、週末しか練習に参加できなくなっていた。

「そんな状況でしたから、グラウンドに立ったときに周りと差を感じるようになっていました」
 仕事もラグビーも100パーセント。クラブの大事にしているところのバランスを保てなくなっていると判断し、決断した。

 同じタイミングで引退するチームメートが、納会の挨拶で軽快にトークする姿を見て、みんなやり切ったんだな、と感じた。
 自分はどうだ。
「もう少しやりたかった。そんな気持ちはあります。でも、(仕事が多忙な)状況は変わりそうになかったので決めました」

 後悔しないのか。
「これからの生き方で、悔いが残らないようにしていこうと思っています。この選択をしてよかったな、と5年後、10年後に言えるように、今後頑張ります」

 自衛隊に入隊したのは、災害派遣の現場で働きたかったからだ。
 高校時代に東日本大震災が起きた。母の故郷、仙台も被害を受けてライフラインがストップした。
 習志野自衛隊にはラグビー部もあった。

 自衛隊時代は空挺団で降下訓練も経験している。パラシュートを背負い、飛行機から飛び出すこと25回。「高いところは昔から平気」と言う。
 ラグビー部でも活躍した。強豪大学出身の選手とも対等以上に戦い、先輩の福坪龍一郎が宗像サニックスブルースへ移籍してプレーをしたことも刺激になった。

 縁あって東京ガスラグビー部とつながり、練習に参加する機会を得た。評価も受けた。
 転職を決意。高いレベルで自分の力を試す機会を得た。
 同い年の選手たちが大学を卒業するタイミングと同じだった。

 2ランクほど上のレベルへのチャレンジ。「すぐに通用するとは思っていませんでした」。
 外国人選手もいるリーグだ。接点の強さへの対応などに最初は戸惑った。
 しかし、3年目、4年目と手応えをつかむ。オープン戦への出場も増えていった。

 自身にとってビッグシーズンとなりそうだったのは、2020年度だった。
 その年は、年明けの1月にシーズン開幕が予定されていた。秋からのプレシーズンマッチのほとんどに出場。肩の脱臼癖があるも、よほどのことがない限り、リーグ戦にも出場できる自信を得ていた。

 しかし、シーズン直前のヤクルト戦。開始30分で3度の脱臼。見かねたベンチから交代の指示が出た。
 年明けに手術。結局、コロナ禍でシーズンも中止となった。

「次々に困難が訪れた。こんなことってあるのかな、という気がしました」
 万全の状態でシーズン開幕を迎えられたら、いまの自分はどうなっていただろう。

 一番の想い出は、昨年春の交流トーナメント、日立製作所Sun Nexus戦だ。
 9人の同期のうち、現役を続けていた7人中6人(ひとりはケガ)がメンバーに入って嬉しかった。楽しかった。
 自身は途中出場も、味方の蹴ったハイパントを直接キャッチしてチャンスを広げるなど活躍。56-7の快勝に貢献した。

 華やかな活躍はできなかった。しかし、「思い描いていたゴールとは違いますが」と前置きして、この道を選んで良かったと言う。
「人間関係に恵まれました。素敵な同期と先輩、後輩とラグビーができた時間は他には変えられない経験です」

 仕事を終えてからの夜の練習を終えて帰宅する。玄関に入る時には日付が変わっていることもある。
 でも、みんなグラウンドで全力。笑顔のロッカールーム。たわいのない話をする時間が好きだった。

 自分で転職を決意して、飛び込んだ場所で思い切りラグビーをした。
 目指していた結果には届かなかったけれど、やれることはすべてやった。
 どれだけ努力しても、届かないことだってある。
「人間的に成長できたと思います」

 高校入学時にラグビーを勧めてくれた両親にありがとう。
 市立船橋高校の1学年上には、ブラックラムズ東京で活躍する松橋周平がいて、女子ラグビーの大黒田裕芽は同期。
「最初にパスを教えてくれたのは裕芽でした」。
 ありがとう。ありがとう。

 引退の挨拶で感謝の言葉しか出なかったのは、本当の自分がそこにいただけだった。


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