【ラグリパWest】自分の選んだ道。田淵慎理 [LeRIRO福岡/サードロー]
田淵慎理(しんり)の目の前には栄達のレールが敷かれていた。
近鉄グループホールディングスでは総合職だった。社長になれる資格を有し、そうなれば鉄道、百貨店、不動産など150近い会社を仕切る。そのバラ色から離れ、荒野を歩く。
「今は楽しい。悔いは全然ありません。自分で決めたことなので」
ラグビーそのものに人生をかける。近鉄ライナーズ(現・花園)から、宗像サニックスブルースに移籍。プロ選手になった。
サニックスは1年で休部になる。今、このコンタクトに長けたサードローは、「LeRIRO福岡」にいる。読みは「ルリーロ」。昨年3月、うきは市に設立された社会人チームだ。
ルリーロは地域密着型。メンバー全員がそれぞれの生業を持ち、夜に練習する。純粋にラグビーだけで食えているプロはいない。
田淵も例外ではない。
「大きい仕事は3つあります」
メインは西久大(にしきゅうだい)という運輸と倉庫の会社の広報を請け負う。TwitterやInstagramなどSNSを軸に認知を広げる。こういうことは好きだし、得意である。
サニックスの休部は昨年5月だった。移籍を模索した。引きはない。ケガで公式戦出場は2試合。8月で30歳になった。
「ハローワークにも、ネットの求人にも少し応募しました」
ラグビーとは関係のない仕事も一時は考えた。しかし、うまくゆかない。
そんな時、ルリーロを思い出した。休部の噂が出たころ、真っ先に誘ってくれた。夏、他チームとの合同練習に参加した。
「その時にはラインアウトのサインも決まっていませんでした」
義侠心が頭をもたげる。コーチ兼任のような形で加わった。チームも田淵のために、西久大の広報業務を紹介した。
チーム練習は週4回。主に浮羽究真館のグラウンドを使う。この県立高校のラグビー部監督は吉瀬(きちぜ)晋太郎である。代表の島川大輝とともにルリーロを立ち上げた。
田淵は練習に県内を南下する。
「高速を使って1時間ほどです」
自宅のある宗像はサニックスの本拠地だった。この街を気に入っている。
「めちゃめちゃいいです。海は近いし、山もある。自然が多いし、静かです。ごはんもうまい。スーパーの魚でも美味しいですから」
ルリーロの本拠地、うきはも好きだ。
「フルーツがめちゃくちゃうまい。柿の概念が変わりました。身がしまって甘い」
果樹園で働いているメンバーが持ってきてくれる。土が肥えるのは水量豊かな青い筑後川の存在が大きい。
ルリーロの主軸は2チーム。田淵のいたサニックスとコカ・コーラ レッドスパークスである。福岡を拠点にした両チームは、トップリーグからプロ化を鮮明にしたリーグワンへの衣替え前後に活動を終了した。
田淵を含め、その両チームにいた者はメンバー36人中17人いる。
「楽しいですよ。チームを0から作っていますから」
天然芝のグラウンドは普通だったが、今は土。施設は粗末な分、メンバーから、チームからは必要とされている。
現場サイドの評価は低かった。近鉄最後の7シーズン目である。
「ケガをしながらそれを乗り越えて来たつもりでした。でも自分の新人の頃と比べられました。昔はできたじゃないか、と。ほかの選手と比べられた方が楽でした」
運営サイドとの面談も放置された。
サニックスには元同僚の王鏡聞(わん・きょんむん)らがいた。全員がプロだった。
「そういう世界を見てもいい」
総合職に後ろ髪を引かれることはなかった。
「引退して働いている先輩を見ていると輝いていないように感じました」
組織より、おのれの力をたのみにする。
田淵を貫くラグビーを始めたのは小2だった。奈良の桜井少年ラグビースクールである。父の泰央が経験者だった。高校は地元の天理。冬の全国大会優勝6回、歴代4位の記録校である。ただ、田淵の3年間は全国に届かない。すべて御所実に県決勝で敗れた。
「脳震とうになって、気がついたら負けていました」
最後の90回大会(2010年度)は17−24の記録が残る。
大学は同志社に進む。
「春樹さんらが行っていました」
太田春樹とは6学年違うが天理の先輩。今は花園のFWコーチである。大学4年時は関西3位。51回目の大学選手権は予選プール敗退。早稲田に17−18など1勝2敗だった。
田淵は中高ともに主将。そのリーダーシップを近鉄は買う。天理の先輩の前田隆介も当時、監督でいた。幹部候補生として7年を過ごした。そして、関西を離れ、九州に渡る。
今、田淵が熱を注ぐルリーロは、チーム立ち上げ半年ほどで、トップキュウシュウAを制した。それに続く三地域順位決定戦では連敗する。ロックとして先発した大阪府警は22−36。メンバー外だった東京ガスは14−90と大差をつけられた。
今のチームの立ち位置はリーグワンのディビジョン1から数えれば四部になる。
「リーグワンに入るのが目標です」
ただ、そのためには経済を伴った事業化や競技力のさらなる向上が求められる。
「人生はまだまだ長い。振り返ったときにいい経験になっているはずです」
その言葉を現実とするため、田淵は自分の選んだ道をルリーロとともに歩んでゆく。