【コラム】赤い縦糸。帝京ラグビー50周年の爽やかな「前編」のキャストたち
いい人が来てくれたと周囲にも話した。脂も乗ってきた三十代で高校からわざわざ転職してきて、そのように指揮を譲れる人がどれだけいるだろうか。
実力も部員も足りなかった時代に、意気に感じてより熱っぽく動いてくれたその人は、早大OBの白井善三郎氏だ。当時大学連覇監督だったほどの人物が、まったく駆け出しの帝京大を都合3年にわたって指導したのは、アマチュア規定の厳しい無償ボランティアの時代の話だ。
一方で白井氏は、帝京が対抗戦グループに加入する先鞭までつけてくれた。増村監督と明大・北島忠治監督(ともに当時)の間を取り持って、帝京は晴れて伝統校を軸とする対抗戦の住人となった。
名実ともに大学ラグビーの盟主だった早稲田と明治が、赤子のようなチームの手をとってくれた。
「昔のことは色々忘れちゃったけれど、あの頃に感じたうれしさ、ありがたさはずっと覚えている。北島先生も、同郷の新潟だし家も近いしって、自分のような若造を構って下さった」(増村氏)
赤子はのちに、旋風を巻き起こす存在になる。対抗戦独特の対戦順などクラシックな風土は、のちに昇竜の勢いで力をつけていく帝京大にとって大きな試練となった。しかし、それも振り返れば、部が盤石な体制を作り上げることができた環境の一つとなった。帝京大は対抗戦だからこそ逞しく育った。
礎を築いた人々の中で、増村昭策氏はしなやかで決して切れない縦糸になっていた。
現役時代はFL、スクラムを長く指導した。連覇の始まった2010年シーズンは週に2度はグラウンドに出ていた。新監督の相馬氏は元日本代表プロップ、指導においてもそのスペシャリストであるのは興味深い。
日大鶴ヶ丘高校で教鞭を執っていた増村氏は、縁あって招かれた帝京大学で、一人、またひとりと有能な指導者を招いて、彼らが成長できる舞台を作ってきた。50年を一つの物語として眺めたい。岩出氏が大学と強く連携して築いたのが、たくましい「後編」だとすれば、数多くのキャストが紡いだ爽やかな「前編」から、心の真ん中にはいつも増村氏がいた。
今も代表的な「早稲田の人」である白井善三郎氏のお祝いのスピーチは素直だった。
「今日は感染のこともあって、身内だけの会と聞いて。私もファミリーの一員として招いてもらえたことを知りました。とてもうれしい」(白井氏)
ありがとう、仲間に入れてくれて。シンプルだけれど、いつもそうできるのは、かっこいい。
横の糸は色とりどりだ。そこに芯を通している縦の糸は、ときどきの色味に控えて目立たつことはない。けれど、それなしに帝京ラグビーの絵柄はきっと仕上がらなかっただろう。
会の終盤に、今をときめく日本代表・中村亮土がいみじくも話した。
「帝京OBはここが共通しているなと感じることがある、それは柔軟なこと。周りをよく見てどんな状況にも対応できること」
縦糸のご本人は、にこにことそれを最前列で眺め座っていた。
(参考:ラグビーマガジン450号・巻末インタビュー『楕円の糸』森本優子)