コラム 2022.02.10

【ラグリパWest】ノリアキ、去る。伊藤紀晶 [同志社大ラグビー部前ヘッドコーチ]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】ノリアキ、去る。伊藤紀晶 [同志社大ラグビー部前ヘッドコーチ]
2年続けた同志社大ラグビー部のヘッドコーチを退任した伊藤紀晶さん。これから神戸製鋼で社業に励む



 JR各停で45駅。5時2分の始発で2時間かかる。目的はミーティング参加。早朝ゆえ、快速などは走っていない。

 自宅のある神戸の須磨から京田辺へ。伊藤紀晶のその通いが終わる。同志社大のラグビー部ヘッドコーチ(以下、HC)を2年で退任した。

「続ける時はかなり気合を入れないといけません。今は朝を考えなくてもよくなりました」
 表情は穏やかだ。51歳。コーチの4年を含め、6年間を母校のために尽くした。

 愛称は名前の「ノリアキ」。HCに就いたのは2020年。関西リーグは2位と4位。大学選手権には連続出場する。57回大会は部員のコロナ罹患で辞退。58回大会は8強戦で帝京に24−76。10回目優勝の前に崩れた。

 就任年の『ラグビーマガジン』(6月号)は4ページにわたり伊藤を特集する。編集部、森本優子の筆による。
<監督の肩書ではないのは、フルタイムでグラウンドに出るのが難しいため>
 当時も今も神戸製鋼の機材調達部に属し、設備契約室の室長をつとめる。
「簡単に言えば、クレーンなど鉄を作るための機械なんかを買う仕事です」
 仕事場は神戸の本社。20人ほどの社員を束ねる。多忙のため、指導できるのは基本的に土日や有給休暇。それでもOB会である同志社ラグビークラブからの打診を受諾した。
「恩返しのためです」
 任期は1年。さらに1年の延長を望まれた。

 紺グレの一員となったのは33年前。出身校は大阪工大高(現・常翔学園)。部長だった荒川博司にすすめられる。
「同志社から話が来ている。BKの選手としては東田以来になる」
 東田哲也は「ミスター・ラグビー」と呼ばれた平尾誠二と同期。WTBとして日本代表キャップ1を持つ。その1981年の入学から8年後、伊藤に白羽の矢が立つ。180センチと当時としては大型のFB。速かった。

 中学は帰宅部だった。部活を考えた時、初心者でも通用するラグビーが浮かんだ。入学時、この高校が強豪だとは知らなかった。
「ボロカスに言われたイメージがあります。負けたくない一心でした。グラウンドには長くいて、帰ってから近くの公園でボールを蹴ることを日課にしていました」
 1年生は120人が入部。最後まで残った40人ほどのひとりになった。

 高3時には主将になる。68回全国大会では茗溪学園と両校優勝。昭和天皇の崩御があった。同校の優勝は3回目。今は2回積み足して5回。歴代5位としている。

 大学ではバックスリーとして1年から公式戦に出場する。4年間の大学選手権の最高位は2年時の4強進出。26回大会で早稲田に8−50。高校と同じで4年時に主将をつとめた。若いころから人望を集めた。

 同志社ラグビーの特徴を口にする。
「自由さではないかと思います。型にはめず、選択肢を与え、選手が判断する」
 岡仁詩の考えを受け継ぐ。1982年度からの大学選手権3連覇を支えた部長は「形がないのが同志社」と話した。その時々の選手が主体的に考え、形を作る。

「そのためには体作りが必要です」
 HCになって格闘技的要素を磨いた。息が上がる個々のタックルのしあいやグラウンドの縦100メートルをモールで往復する。
「個人的には以前より体を張れるようになったと思います」

 その復活への道をコロナが邪魔をする。
「この2年、合宿に行けませんでした。経験値を上げられませんでした」
 110代主将として中尾泰星(現クリタウォーターガッシュ昭島)を抱いたチームは大学選手権を棄権する。
「天理には負けましたが、発展途上のチームで、もっとよくなっていたかもしれません」
 関西リーグの優勝決定戦は21−54。後半は21−28と選手権を初制覇する相手に食い下がった。

 コロナにさいなまれたHCの2年の経験も含め、伊藤なりのラグビーの肝を挙げる。
「判断と反応です」
 そのことを神戸製鋼でミスター・ラグビーに学ぶ。外側のCTBとしてコンビを組む。
「スペースを見つけて走り込むとそこにパスが来る。人生一取りやすいパスでした」
 伊藤の判断に平尾が反応する。

 神戸製鋼では、ひざのケガなどがあって選手生活は7年と短かったが、最後の1999年度、全国社会人大会(リーグワンの前身)、日本選手権の2冠を達成する。SOアンドリュー・ミラーを軸にしたフラットラインに入った。7連覇に次ぐ、5季ぶりの頂点だった。

 平尾は社会人ラグビーに引っ張ってくれた。伊藤はそのプレーを知識に変える。
「監督はグラウンドの中にいない。だからこそ、判断と反応が求められると思います」
 戦える体は作った。判断と反応は次のフェイズになり、会得には練習や試合の積み重ねが不可欠。その時間は限られていた。
「毎日、グラウンドに出ないと厳しい。週末だけ行っても学生には伝わりません」

 伊藤の退任とともに同志社は監督制を復活させた。新監督は35歳の宮本啓希。サントリーからの出向になる。

 伊藤はまた社業に専念する。
「ラグビーに関わるかどうかは分かりませんが、求めがあるなら手伝わせてもらうかもしれません」
 同志社を復活させようとした6年間の指導履歴は消えることはない。コーチとしての旬はまだ続く。

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