【コラム】あなたのクラブの「1万年にひとり」。
コラムを書く。書く前に考える。キーボードの上に着想という滴の垂れるのを待つ。垂れろ垂れろと願うと垂れる。さっき垂れた。
でも、この話は別の機会に、と、思い直した。こういう場合は「旅」に出る。パソコンのディスプレイに海外のおもに新聞のラグビー記事を呼び出しながら移動を続ける。クライストチャーチに、ロンドンに、たまにはトビリシやリスボンにも。
効率はよくない。旅は寄り道があって旅だ。あちこちで引っかかる。やたらとTМОの出番のあった試合くらいの時間はすぐに過ぎる。
イングランドのエディ・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)の対スコットランド敗北における「采配の失敗」を元選手の評論家や新聞記者が具体例を挙げて批判している。敵地で3点差じゃないか、とも思う。同時にテストマッチ、それもラグビーの枠をはみ出して民俗的祭事のような6ネーションズの重みを想像もする。勝ち負けに「一喜一憂」する。そのときに少しでもしくじったら責め、責められる。それはそれで正しい。
英国の民間放送がラグビーやサッカーにおいて「マン・オブ・ザ・マッチ」の呼称をやめて「プレイヤー・オブ・ザ・マッチ」とあらためた。スポーツ界を覆う男性優位主義との決別は当然だ。珍しいニュースではない。ただ、それを愚かと批判する一般の声(フィールドには男しかいなかった。辞書から『マン』を消すのか)が興味深い。
『Wales Online』のラグビー欄の見出しに「ウェールズで最もハードな選手は15年前のこの日に死んだ。彼は特別だった」(Wales Online )とある。いかにも武骨な傷だらけの顔に説得力があった。
ブライアン・ウィリアムズ。強豪クラブ、ニースのかつてのプロップ。2007年2月7日に46歳で急逝した。「元ウェールズ代表」の記述もある。なのに不覚にも知らなかった。
翻訳ソフト出動で読み進める。5年前にも「没後10年」のストーリーが掲載されている。他の媒体にもあたった。以下のごとき人物だった。
ウィリアムズはニースの誇る左プロップだ。怪力。しかもフランカーのように動く。「プレーに対価の支払われる前の時代、プロ同様の体力を備えていた」。ウェールズ語を日常的に話し、スランゴルマン村に暮らす酪農家だった。
クラブでフランスに遠征した際に農場を訪れ、牛に接近した仲間が襲われた。ハードなプロップはどうしたか。怒れる生き物の首めがけてタックルした。それで引き離し、自分は振り落とされるも「ファーマーとしてのスキルを用いて怒りを鎮めた」(同前)。
牛を鎮圧できるのだから人間の制圧は難しくなかった。ことにモールでは強靭な筋力を大いに発揮した。動画にあるだろうか。あった。