コラム 2021.10.14

【ラグリパWest】もう5年になるか…。山口良治 [伏見工元監督]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】もう5年になるか…。山口良治 [伏見工元監督]
伏見工(現・京都工学院)の教え子だった平尾誠二さんのことを話す山口良治さん。今月20日、平尾さんが亡くなってから5年を迎える



「もう5年になるか…」
 山口良治はつぶやいた。

 2016年10月20日。教え子の平尾誠二が亡くなった。師弟は伏見工を初めて高校日本一にした。

 恩師は来年2月で79歳になる。今まで脳梗塞に2回、見舞われた。杖を手放せない。
「親よりも先に逝ったらアカン。大事なことを伝えられなかった」

 教え子は、その容姿、プレー、知的さからミスター・ラグビーと呼ばれた。思い出は毎日、頭をよぎる。

「家の居間に大きいガラスばりのテーブルがあって、その下に写真がいっぱいはさんである。平尾のものもある。入院中、見舞ってくれた時のやつなんかやな」

 その出会いは1977年の秋。今から45年ほど前にさかのぼる。京都の西京極。自分たちの前に、中学生が試合をしていた。
「後ろが空いた、蹴る。外があまってる、飛ばす。スタンドオフの子が実に的確やった」
 現役時代、フランカーとして日本代表キャップ13を得た山口をうならせる。

 所属の中学は陶化(とうか)。監督であり美術教員だった寺本義明の許可を取り、勧誘の家庭訪問をする。
「平尾はくりっとした目を輝かせていた」
 日本代表の話などに聞き入った。

 当時、強豪校がすでに声かけをしていた。山口は入学を諦めていた。
「ところが、事務室から、陶化の平尾くんから願書が出ています、って言うてきた。信じられん。飛び上がってよろこんだよ」

 高校での対戦の記憶を小松節夫は『ラグビーマガジン クロニカル ヒーロー編』で語っている。天理のセンターだった。

<平尾がどこかを痛めたのか、うずくまってしまった。そこで、山口先生がハンドマイクを手にして『おい平尾、いけるのか、いけないのか』と問われた。そうしたら、平尾はすっくと起き上がってプレーに戻った。決して甘やかして育てているのではなく、厳しく接しているんだと思いました>

 同じ年の2人は高校日本代表に選ばれる。小松は天理大を率い、昨年度、学生日本一になった。

 山口は振り返る。
「そら、大事にはしていたよ。でもほかの生徒の手前、それは出せない」
 監督よりも、保健・体育の教員だった。教育者らしく平等に軸足を置いた。

 平尾は山口の下、高3時には主将になり、60回大会では初の全国優勝を呼び込む。決勝は7−3。大阪工大高(現・常翔学園)を後半ロスタイム、栗林彰のトライで降す。

 決戦前夜、平尾は左ふとももを痛めていた。強い打撲だった。山口は懸命にマッサージを施す。
「立っているだけでいい」
 平尾不在なら、機能しないチームだった。

「あの栗林のトライ、同じひとつのトライでもえらい違いやな。あれで、みんなの人生が変わったんやから」

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