初4強。強いクボタの「当たり前」を作った人たち(1) LO/FL今野達朗
今野 クボタではチームを戦艦に例えていて、メンバー外の選手達とのことをボルツと呼んでいます。巨大な船にあって、部品同士をつなぐボルト(BOLT)の役割をするという意味で。毎週、メンバーが発表されるのが月曜。その日のうちにLINEのトークグループを作って、その週のボルツのメンバーに予備知識を入れておきます。火曜、相手のラインアウトについてのプレゼンをして、チームに理解させます。
――今野さんは選手の立場にいながら、それができるように毎週、準備を進めていたわけですね。
今野 月曜にメンバーを外れたばかりの当落線上の選手たちは、少なからず落ち込んでいます。それでも、すぐに切り替えて、積極的にボルツとしての役割を果たそうとする。同じチームの選手ながら、そもそも、そこが偉いなと思います。
――今野さん自身もそうでしょう。みんなのためにできることを探している。ラインアウト一つとっても、今、チームはそういう雰囲気があるんですね。
社会人3年目で背負ったキャプテンシー
――キャリア前半は、本来のフィールドでの活躍、目覚ましかったですね。入社2年目にはオーストラリア留学。ブランビーズと報道されましたが、おもにキャンベラ・バイキングスでのプレーでした。
今野 ラグビーの捉え方、フィジカル、ウエイト・トレーニングに対する考え方、いろいろ勉強になりました。
――3年目、イーストに降格した年にキャプテンに。重要な時に、リーダーに指名されて大変でしたよね。
今野 やってほしい、と言われたら、やるしかないですよね。それにしても、あの時はチームの雰囲気が……。
――周りは先輩ばかりの中で、どんよりした雰囲気のチームをどう引っ張ろうと。
今野 プレーでがんばるしかない。先輩方も一人ひとりは協力的だし、自分が若いから苦労したとは思っていません。苦しかったのは、ただただ結果が出ないこと。練習もしんどい中で、みんな歯を食いしばってがんばっている。それでもうまく回らない。不満や不服みたいなものが出てくる。
落ちて2年目は(’11年に続いて、’12年もトップイースト残留)、さすがにまずいぞと、みんなが必死になったことが一つ。もう一つは、トウタイ・ケフという指揮官(元クボタ所属のNO8)を得たことが大きかった。僕も1年は現役として一緒にプレーできたので、初めからチームの信頼感を得ていました。
――同時に、いちプレーヤーとしては、充実の時代ですね。
今野 楽しかったですね。取り組めば取り組むほど自分が変わっていけた。留学の経験も自分なりに考えて反映させたり。ポジションもいろいろやりました。同じ試合で3つのポジションでプレーしたこともあります。7番はしんどかったですね。ははは。
――最後のシーズンは史上最高戦績で終わりました。長くチームを見てきて、今年のスピアーズが結果を残したことには、どんな必然性があると思いますか。