今しかできないことを。京大出身の小川拓朗[清水建設]、デビューまでの軌跡。
トップレベルの選手たち。
立派なスタジアム。
大勢の観客。
そこに自分がいる。
夢にまで見た光景だった——。
4月18日、京都・たけびしスタジアムでトップリーグ2021のプレーオフ1回戦が行われた。清水建設ブルーシャークスは日野レッドドルフィンズに挑む。
前半は20―14で挑戦者がリードして折り返した。だが後半は日野のフィジカルに押されて、逆転を許す。最後は突き放された。
点差が離されている間、清水建設の背番号20は落ち着きがなかった。ベンチでは立ったり座ったりを繰り返す。「早く出たいなって(笑)」。
小川拓朗のリザーブ入りが決まったのは、試合の1週間前。バックローのケガ人が多く出てしまった事態で抜擢された。
「正直、シーズン中は出られる実力がなかったので、選ばれたときは驚いて心臓バクバクでした(笑)。でもせっかくもらったチャンス。自信のあるタックルで少しでも印象に残るプレーをしたいと思っていました」
180㌢、96㌔のLOに出番が訪れたのは、後半36分。ルーキーが待望のデビューを飾った。「すごく楽しかった」。
ボールキャリーは2回。得意のタックルは披露できなかったが、ラックに入った時に日野の選手との体格差に「上には上がいる」と痛感した。
小川はこの4月で入社2年目になった。中学受験で「超」がつく進学校、西大和学園に合格し、大学は京大医学部へ進んだ。
京大医学部を志したのは、高校時代に肉離れを繰り返したから。病院や整骨院に通ってもなかなか治らず、先生によって治し方や言うことが違うのも引っかかった。
「誰を信用すればいいか分からなくて、だったら自分で勉強しようと」
4年時には理学療法士の国家試験もクリアし、そのまま同分野の大学院に進学。内転筋を肉離れした人にお勧めするストレッチ方法などを研究した。
小川が所属する研究室では、スポーツ系企業の研究職に進むことが多い。小川も当初はその道を考えていた。だが就職活動をしていく中で、地元の兵庫で清水建設に勤める元ラグビーマンに出会う。仕事とラグビーを両立できる環境があることを教えてもらった。
「社会人でラグビーをやるというのは考えてなかったんですけど、レベルの高い環境でラグビーができることに、とても魅力を感じました。できるならチャレンジしたかった」
そこで清水建設の採用試験を通過し、見事ブルーシャークス入りを果たすのだが、この大きな方向転換、そして決断の背景は中学時代までさかのぼる。