国内 2021.04.30
今しかできないことを。京大出身の小川拓朗[清水建設]、デビューまでの軌跡。

今しかできないことを。京大出身の小川拓朗[清水建設]、デビューまでの軌跡。

[ 明石尚之 ]

 ラグビーは5歳から伊丹ラグビースクールで始めた。中学3年時に始まった第1回の全国中学(ラグビースクールの部)で準優勝を飾る。小川はPRの1番で出場した。
 共に戦った同級生には、梶村祐介(サントリー)、岡田優輝(トヨタ自動車)、前田剛(神戸製鋼)、喜連航平(NTTコム)がいた。みんなトップリーガーになった。

 高校はラグビー部がなかったため、地元のクラブチーム、SCIXに所属。公式戦は春の県大会だけに限られる中、同級生は花園という大舞台で活躍していた。
「すごく羨ましかった。僕もこいうところに出てみたかった」

 関西の「B」リーグで戦う京大ラグビー部に入ってからも思いは変わらなかった。ただいつしか「自分はレベルの高い環境でラグビーをすることはない」と、心の奥底に悶々とした思いを閉じ込めた。

 大学4年で第一線を退き、大学院ではSCIXに戻りラグビーを楽しむ日々を過ごす。そんな中で、就職活動を通してまだチャンスがあると知った。思いが再燃した。
「今しかできないことは何かと考えた時に、(レベルの高い環境での)ラグビーは今しかできないと」

 だからブルーシャークスへの挑戦を決めた。
 今は日中が仕事でヘトヘトになってから練習に行くこともあるけど、しんどいと思ったことはない。「自分が好きでやっていることですから」。

 思えば高校、大学でもそうだった。高校時代に通ったSCIXでは、週に2回しか練習がなかった。それ以外の日は家に直帰してランニングと筋トレを欠かさずやった。誰かに言われなくても努力できた。

 大学では3年時にCリーグへの降格を経験。コーチのいない環境で、「変わらなければいけない」4年時には、多くの練習メニューを小川が考案した。
 社会人や大学の試合をたくさん見て、自分たちとの違いを探る。同じような動きができるようにするにはどうしたらいいかを考えて、練習に落とし込んだ。その練習の映像を見ては、次どうするかを考えた。「時間は結構かかりましたし、大変な作業でした」。
 それでも続けられたのは、やっぱりラグビーが好きだったからだ。

 だからオフシーズンに入ったいまも自らを追い込む。追い込める。
「試合にも全然出てないですし、これから増量して走り込みます。まずは体力づくりです」

 今は心から臨んだ最高の場所で、大好きなラグビーができることの幸せをかみ締める。

戦況を見守る小川拓朗。後半36分に長く憧れた舞台に立つ(撮影:早浪章弘)

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