コラム 2021.03.25
【コラム】「大丈夫」は危ない。退く勇気も仲間のため。

【コラム】「大丈夫」は危ない。退く勇気も仲間のため。

[ 谷口 誠 ]
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「正常性バイアス」という心理学の用語がある。自分に都合の悪い情報を小さく評価し、自らの命も顧みず危険な行動を冒すような認知のゆがみを表す。

 脳震盪ではなかったが、この「罠」にはまった経験がある。大学の時、試合中に左目にパンチを受けた。目を開けると、視界は真っ白。目の前に画用紙を置かれたように何も見えなくなった。残り時間は30分。目に深刻なダメージを負ったことは認識していたのに、頭に浮かぶのはこんな考えだった。

「痛みは大したことがないからプレーはできる。自分から交代する理由がない」

「今日のリザーブには、自分と同じポジションを本職にしている選手はいない。片目が見えなくても自分がプレーする方がチームのためになる」

 片目が見えない恐怖から逃げるかのように、思考はどんどん根拠のない、おかしなものになっていった。

「視界が『黒』ではなく『白』ということは、目が光を感じることはできている。最悪の状況の一歩手前だから、まだやれる」

「試合に出続けた結果、片目を失明したとしてもラグビーができなくなるわけではない。大丈夫だ」

 結局、最後までプレー。病院へ向かうと、カメラの「絞り」にあたる虹彩と呼ばれる器官の損傷と判明した。眼球に入る光の量を調節できないため、フィルムが感光するように視界が真っ白になっているとのことだった。「どうしてすぐに病院に来なかったんだ!」。医師からひどく叱られたうえ、即座に入院する羽目に。後遺症もなく復帰できたのは幸運でしかなかった。

 振り返ると、「交代したくない」という結論から後付けで理屈をつくっていたうえ、その異常性を自覚できない状態に陥っていた。白状すると、プレーを続けた理由もチームのためというだけではなかった。どちらかと言えば、「タックルをして負傷したなら仕方ないが、パンチを受けて交代するのは恥ずかしい」という見栄が大きかった気がする。

 正常性バイアスを逃れるには、事前の備えが重要とされる。その点、エリート選手は本人や周囲も脳震盪の危険性を正確に認識している人が多いだろう。では、ラグビーを始めたばかりの若い人はどうか。 

 2017年、イングランドである調査が行われた。11~17歳の選手255人に脳震盪について尋ねたところ、同国ラグビー協会が推奨する待機期間23日間を守ってから復帰した選手はわずか11%だった。不適切な認識を持つ選手も20%いた。中にはこんな意見もあった。「重要な試合なら、脳震盪になっても交代するよりプレーに戻ることの方が大事だ」「自分が頭にケガをした後でもプレーを続けることを、チームメートは望んでいる」。

 平時から脳震盪を軽視する姿勢や、誤った責任感があれば、いざ頭を強打した時に正しい判断を下せるだろうか。誤った思考の枠組みに捕らわれてしまわないか。

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