トンガの「親善大使」。ニリ・ラトゥ、100キャップ達成までの言葉。
筋骨隆々でスキンヘッドの39歳は、水浸しで、瞳もうるませているように映った。
3月21日、東京の秩父宮ラグビー場は雨模様だった。日野のNO8としてプレーしたニリ・ラトゥが、国内トップリーグで史上87人目となるリーグ戦通算100試合出場を果たした。他国代表のジャージィを着た選手の達成者は、元オーストラリア代表でパナソニックのヒーナン ダニエルに続き2人目だ。
試合は2021年シーズンの第4節。相手は2007年から8季在籍のNECだった。
10-7。
記念すべき日を勝利で飾ったラトゥは、殊勲者に贈られるマン・オブ・ザ・マッチも得た。
「私は日本での多くの時間をNECで過ごしました。NECも、日野も家族の一員です。過去にチームメイトとしてプレーした選手を敵として迎えたのは特別です。対NECで100キャップを達成…特別中の特別という気分です」
空が荒れると肉弾戦が増える。もともとぶつかり合いを好むラトゥは、この午後も衝突に衝突を重ねた。
前半35分頃、抜け出したSHのオーガスティン・プル共同主将をサポートする。プルの持つボールへ、相手FLの亀井亮依共同主将がジャッカルを仕掛ける。そこへニリが加速して当たる。引きはがす。
対する亀井もこの時を前後し、ラトゥら日野のランナーへ低く刺さり続けた。NECの緑のジャージィに縁のある者同士の戦いは、公式入場者数「865人」というスタンドに熱波を届けたか。
「近場での接点ではさすがだなと思う部分も、自分から仕掛けられた部分もあった。…いい試合ができました」
亀井がこう言うと、ラトゥは簡潔に応じる。
「フィジカリティ性の高い試合になると想定していました。求めるものを手にするには、自分の目の前にいるものにぶつからなくてはいけない」
発する言葉も印象的だ。
「NECにいた頃はお前を殺してやろうかと思っていたけど、(仲間になった)いまは家族のように思っているよ」
ラトゥは日野に加わった2018年、当時サントリーから同部に移籍していた佐々木隆道(現 キヤノンFWコーチ)へこう微笑んでいる。
「サントリーは強豪チームで、彼(佐々木)がリーダーシップを取っていたのでね。(日野では)彼らの手助けをしたい」
2007、15年のワールドカップでは、母国トンガ代表の主将を務めた。チームメイトをしばし「家族」と表すのは、故郷で血縁者を重んじる文化に染まってきたからかもしれない。
右腕のタトゥには、太陽、波、魚、ハイビスカス、ココナッツの葉で作ったカーペットと、生まれ育ったナルファニフォという土地に関する柄を並べる。
「自分の歴史、生活様式を身にまとって、世界を旅する。そこにプライドを持っています」
日野へ来る前の3シーズンは、イングランドのニューカッスル・ファルコンズで働いていた。NECとの契約延長が叶わなかったからだが、渡英すれば同部の加盟するプレミアシップでの順位を11、8、4位と引き上げた。
だから新興チームの日野へ来る際、この言葉に説得力をにじませたものだ。
「チームを去る時は、私が入る以前よりも強くしてから去る」
ラトゥは日野で、外国人グループのお目付け役も担ってきた。多くのトンガ人留学生が来日してきた歴史を踏まえ、「日本が多くのトンガ人を受け入れてくれてありがたく思います」。全ての後輩たちへ、かようなメッセージを送るのだった。
「トンガ人選手には、自分がトンガの親善大使なのだという意識でいて欲しい」
昨季、ニュージーランド人の元同僚がチームを去らなくてはいけなくなった。ニリは告白する。
「日野は、ご存じの通りいろいろありまして、私も引退を考えていました」
いまフィールドに立っているのは、NECで「家族」としてともにフィールドに立った箕内拓郎ヘッドコーチから「もう1年」と慰留されたからだ。
「100キャップを達成するには、信頼を得るような練習を通してのパフォーマンスが必要でした。また箕内ヘッドコーチがいなければ私の記録は達成しえなかった。彼への感謝の気持ちは強いです」
縁のある人のために身長183センチ、体重104キロの肉体を酷使するラトゥ。試合後の控室エリアでは、日野の外国人選手によるハカで祝福された様子。さらに両軍の選手から、花束や好物の「ケンタッキーフライドチキン」を受け取ったようだ。
「これだけ長くプレーできる秘訣はケンタッキーです。これを食べることで長い時間、元気にやれているところがあります。…今度、私のスポンサーについてくれないかな」
タフで忠誠心の強く、グラウンドを離れれば朗らかなトンガの「親善大使」。28日には大阪・東大阪市花園ラグビー場でのNTTドコモ戦で、今季3度目の出場を目指す。
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