国内 2020.10.05
【コラム】データなき、驚きの秋。

【コラム】データなき、驚きの秋。

[ 藤島 大 ]

 筑波は勝つならこれしかないという流れをつくり、そこに乗れた。フェイズを重ねるとターンオーバーされそうで、スタミナも消費する。敵陣を意識しつつ、いったん手にしたボールを手間はかけずにトライへと結ぶ。

 ひとりの「特別な人」が出現した。

 新人の13番、谷山隼大。「184㎝・92㎏」の堂々たる骨格。福岡県立福岡高校の評判の逸材だった。FW3列で高校日本代表に選ばれたように複数ポジションを高いレベルでこなす。

 開始直前。福岡高校のOBよりショートメールが届いた。

「高校1年、まだ身長178㎝の谷山がジャンプ、ゴールポストのバーに両手でぶらさがったのを見ました。OB会長いわく、福高の歴史で、あれができたのは、ほかには渡辺貫一郎だけ」

 1973年1月6日、ここ秩父宮、大学選手権決勝の終了2分前の劇的逆転トライ、往時の明治大学の快足WTB、渡辺貫一郎! 

 この日、谷山の能力は際立っていた。自然現象のように外へ引いてのオフロード(ひさしぶりにソニー・ビルという響きが脳によみがえった)。簡単でないハイパントを難なくキャッチ。いずれもトライへつなげた。

 多フェイズを要せずスコアする。コロナ禍にあって鍛錬の機会が限られた今季、各チーム共通の主題ではないだろうか。筑波は、相手にしたら分析や対策のしづらい「開幕戦の1年生」の力で実行できた。

 もうひとり。背番号15の植村陽彦もいわゆる「Xファクター(周知されぬ才能)」として登場した。しなやかで加速の変化の効いたランで2度もインゴールを陥れる。茗溪学園出身の2年生。昨季も公式戦に出場しているが、この慶應戦についてはまさに「突如出現」だった。

 これも本稿筆者が懺悔するほかないのだが、後半、放送席に情報が届くまで、筑波のFBはエースの松永貫汰と認識していた。

 当日の時差のある2種類の公式シートのいずれにもそうあった。中継スタッフの現場での確認でも「メンバー変更はなし」だ。放送開始。画面に最初の表情がちらっと映った。実は「別人では」と感じた。体格がいくらか細身だ。

 しかし手元の公式シートは「松永貫汰」。念のためにラグビーマガジンの最新の選手名鑑のページを繰った。植村陽彦は笑っていない。髪型もグラウンドの上とは違う。松永貫汰は満面の笑顔。比べづらい。放送モニター画面の中、筑波の15番の目元は「記憶の中の松永」と重なった。そう考えようと心理が働いた。

 しまった。やはりマイクのスイッチをいったん切って、近くのディレクターに小声で「念のために15番、直前の変更がないかチェックを」と伝えるべきだった。

 数日前。沖縄・名護のデイゴラグビースクールの練習を遠巻きに見学、終わったあと、ひとりの中学生に「勝負の場ではハッと思ったことをすぐ言葉にして仲間に伝えろ」と助言した。「考えていることは正解なのに声がないのでパスがこない。もったいない」と。なのに自分ができなかった。コーチ失格だ。

 植村の活躍は、慶應陣営も警戒していた切り札の松永と遜色がなかった(マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた)。そこでまた疑念がかすれた。両選手と視聴者にあやまるほかはない。

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