【ラグリパWest】新しい場所。 中瀬古祥成 [奈良朱雀高校コーチ]
中瀬古がラグビーを始めたのは前校名の御所工から。高2でバレーボールから転部する。体育の授業で竹田から誘われた。
「おまえはラグビーにむいている」
当時は172センチ、75キロ。NO8を任される。竹田は当時、赴任3年目だった。
高校卒業後と同時に同じ県立校の吉野に実習助手として勤務。8年を過ごす。
その間、大阪工大の夜学に4年通い、教員免許を取得した。400㏄のバイクにまたがり、往復4時間かけて奈良の山間部から大阪まで通学する。苦学の人でもある。
御所実では19年を過ごした。奈良の無名校が、全国屈指になる流れの中だった。
「竹田先生からすべてを学ばせてもらいました」
感謝の思いがある。
御所実の得点源のひとつであるモールは7月末から教え始めた。
「今は生徒たちができそうなことからやっています」
コロナの影響で、赴任した4月は顔合わせをした1日だけで終了。6月の学校再開から徐々にユニット練習に取り組んでいる。
奈良朱雀は2007年、奈良商と奈良工が統合されてできた。男女共学で全日制は機械工学や総合ビジネスなど6学科から成る。中瀬古は建築工学科で製図や木工を教える。
ラグビー部の花園出場はない。県内には御所実、そして、冬の全国優勝6回、準優勝7回を誇る天理がある。二大巨頭だ。
赴任して、部員たちに話しかけた。
「花園を目指しているの?」
行きたいです。
「ほんじゃあ、できる限りのサポートをさせてもらうわ」
中瀬古は言う。
「ゴセもテンリもかなり遠い。でも、少しでも彼らがそこに近づけるように、武器を作って送り出してあげたいですね」
母校の全国準V4回の始まりは部員2人だった。奈良朱雀は40人。8人の女子マネージャーをのぞいて、選手は32人(3年=8人、2年=14人、1年=10人)もいる。
やってやれないことはない。