コラム
2020.07.30
【コラム】喧騒の中に。
セールは別の場でも同様の言葉を残している。訴えるのは「レフェリーの前」での自制であって、「フェア」の理念は強調していない。フランスのラグビーは伝統的に荒々しく、他国よりラフプレーも多い。日本のラグビー文化と一概に比較することはできない。しかし、内なる正義感や平和への貢献にまで目を向けた大西の「闘争の倫理」の方が、この論点では奥深い思考をしていたと言える。
ただ、フランスの碩学は“闘争の倫理”に別の視点からも言及している。主著の1つ『生成』(及川馥訳)にはこういう記述がある。
「ラグビーには観客はいない。たとえば劇団の俳優たちと平土間の観客の間にあるような距離は、群衆とチームの間にはない」
熱狂渦巻く「闘争」は、スタンドで見ている人までその中に引っ張り込む。おらが街の選手が好タックルを決めれば拳を握りしめ、ラックの陰で殴られようものなら自分の身が痛んだように怒声を上げる。いつしか、自分がグラウンドに立っているかのような気になる。
「スタンドの紳士たちは悪党のように行動するといわれる、いやむしろ、この解き放たれた悪党が紳士の正体である」。セールが生まれ育ったフランス南部のラグビー熱は尋常でない。「私は、たまたま心臓麻痺で三人の死者のでた試合を知っている」というから恐ろしい。
こうした狂騒をセールは肯定的に捉える。「暴力の限界にこのように身をさらし、そしてそれにふさわしく振舞ってみたまえ。この経験、それに続く路線修正、それが文化的であるどころではない、それが文化の源泉なのである」