その他 2020.07.17
【再録・ジャパン_07】廣瀬俊朗[2002年7月号/選手秘話]

【再録・ジャパン_07】廣瀬俊朗[2002年7月号/選手秘話]

[ 編集部 ]

 小学校に入ると徐々に楽しくなり、日曜日はラグビー。高学年になると学校のクラブ活動でウィークデーはサッカーに熱中。6年生ではバスケットボールもやった。同時に、ピアノの先生をしていた母親の勧めで、バイオリン教室にも通った。

 運動会でも活躍し、クラスのムードを盛り上げる元気な子供だった。

「ずっとスポーツをやっていて、体育は全般的に得意でした。バイオリンも中学2年までやりましたが、あんまり上手くならなかったですね。バイオリンを持って歩くのが、どうにも嫌で。でも、クラシックを聴くのは今でも好きです」

撮影:高見博樹

 ラグビーが上手いという自覚は「まったくなかった」が、スクールに通いながら部活もやった豊中第十四中学3年でオール大阪のSOに選出された。正月の関西中学生大会に優勝。学業も優秀で、学区内で一番の難関・北野高校に合格する。

「関東の強い大学でラグビーをやりたくて、早稲田に行きたかったんです。そのためには高校も、かしこいところに行くべきかと。ラグビーの強いところでやる気持ちもあって、大阪工大高も受験しました。東海大仰星からも声をかけてもらいましたが、北野に合格できたので」

 高校時代は花園出場なし。強豪チームにはことごとく大敗したが、クレバーなSOには注目が集まった。3年生の夏は、オール大阪で熊本国体に出場。同年12月、19歳未満のアジア大会(台湾開催)に日本代表として出場し、優勝に貢献。そして翌3月、高校日本代表のキャプテンとしてフランス・ウエールズに遠征する。同期のメンバーは佐賀工の山村亮(関東学大)、大田尾(早大)ら。代表の野上監督は当時の廣瀬を『視野が広く、はっきりものの言える選手。ゲームの読み、組み立てる能力が高い』と評している。

「高校の監督が、元A級レフリーの太田(始)先生だったのですが、『自分の感性でやっていい』と、それがSOとしては、よかったと思います。高校ジャパンの候補に選ばれたときは、『あり得ない』と思いましたけど、候補合宿に行ってみると、けっこうやれる。大阪のレベルの高さを実感しました」

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