【ラグリパWest】伏見と仰星。指導者として、教育者として。
「仰星と伏見は指導者をたくさん出していますね」
ラグビー協会関係者から連絡があった。
仰星は東海大大阪仰星。伏見は伏見工。現校名は京都工学院。昔の人には「フシミ」や「フシコー」の呼び方がしっくりくる。
確かに、この2校の卒業生は教員になり、ラグビーを教えている者が多い。
連絡の発端は東(ひがし)順一の記事。仰星OBは36歳で教頭になった。大阪市の中学では史上最年少である。
どちらの高校にも始祖となる名将がいる。
仰星は土井崇司。伏見は山口良治。保健・体育の教員も兼ねた。
冬の全国大会優勝は5回と4回。土井は0から、山口はほぼ0に等しいチームから、歴代5位と6位となるベースを作った。
仰星は教員監督として、仰星の湯浅大智、東海大相模の三木雄介、関大北陽の梶村真也、松山聖陵の渡辺悠太らを出す。大産大附には教員コーチの金谷広樹がいる。
伏見は、高崎利明、松林拓、大島淳史が山口の後を継ぎ、監督になった。
両校は中学にも教員監督を輩出する。
この現象は、土井と山口がラグビー指導者のみではなく、「教員」として生きたことを示す。指導者はチームを勝たせる。教員は専門教科を通して生き方を教える。例えれば別の男親に値する。そこには明確な差異がある。
2人はこの2つの能力を生得しており、それらを磨き上げた。
教え子たちは恩師と出会った高校3年間、その素晴らしさに触れ、この仕事にやりがいを感じる。「子は親を見て育つ」である。
教員は礼儀作法を教え、しつけを施す。社会に出てから困らないようにする。
そこには情がある。うまさの順に大会エントリーの25人を選ばない。自分についてきてくれた3年間を大切にする。迷った時は最上級生を優先する。教育的配慮がある。
指導者は迷えば、若い選手を使いがちだ。イキのよさに重点を置き、チームの将来を考える。教育者はその部員の将来を考える。
山中亮平は仰星に入った頃、土井の言葉を借りると「やんちゃくれ」だった。
ただ、SOとして能力は図抜けていた。土井は時に山中を諭しながら、その裏では関係者への理解を求めて駆け回った。
山中はその才能の高さゆえ、背中を通すバックフリップや股抜きなど代表レベルのパスを当時から多投できた。3年の冬、花園のグラウンド入り口で聞いたことがある。
—パスを落とせば、投げた方が悪いのか、取れなかった方が悪いのか—。
「投げた方が悪いです」
矢印を自分に向ける。土井の労は報われる。
山中はその時の86回大会(2006年度)で全国優勝を果たす。東福岡に19−5。仰星にとっては湯浅、梶村、東の79回大会以来、2回目の全国制覇となる。
早大から神戸製鋼に進んだ山中は、昨年のW杯で日本代表の8強戦士になった。