日本代表
2020.06.26
【再録・ジャパン_04】田村 優 [2010年12月号/解体心書]
育った岡崎にも自然は残っており、小さい頃から、ザリガニやクワガタ、かぶと虫捕りに熱中していたアウトドア派の子供だった。
「幼稚園からクラブチームでサッカーをやっていました。中学でもサッカーを続けて、高校の誘いももらっていたんですが、中学に入ったときから、高校はラグビーと決めてました。父が通っていた國學院久我山だと中学からの経験者が多いので、國學院栃木に行きました。吉岡監督が、父と久我山で同期でもあったので」
父親からラグビーをやるように言われたことは一度もない。高校でラグビーをやりたいことを伝えると、父は「分かった。やるからには頑張れ」とだけ言われたという。
「サッカーは自分でやってる分には楽しいけど、試合を見るのは面白くない。小さい頃からトヨタの試合を見ていたんですが、ラグビーは見ていても面白かったから」
かくして親元を離れ、栃木へ。そこでの3年間は、吉岡監督によると「青春を謳歌していきましたよ」
田村にとって吉岡監督は、人生でもっとも影響を受けた人物だ。今でも時間ができると栃木へ足を運び、グラウンドを訪れる。
「ラグビーはまっさらの状態で来たから、教えやすかった。父親に似て、ポン、と軽く蹴っただけでボールが羽が生えたように飛んでいく。そりゃあ大したもんでした」
が、名を馳せたのは、部活動だけではなかった。恩師が振り返る。
「高1の夏、校内球技大会があったんです。クラス対抗でトーナメントをするんですが、学校中が熱狂するイベントなんです」