コラム 2020.04.09
【コラム】安楽椅子コーチ

【コラム】安楽椅子コーチ

[ 藤島 大 ]

 日米開戦の4年前、1937年度の早稲田大学主将、CTBの川越藤一郎(元日本協会会長)が競技規則を熟読して「防御は一線で飛び出すべき」との結論を得る。当時は防御側も深くバックスのラインを敷いた。「攻撃側に球が出るとは限らない」を根拠とするのだが、存分に攻め合って守り合う英国流美学というか常識も背景にはあった。「繊細巧緻」とジャーナリズムの称えた名手の川越が後年(1998年)こう語るのを聞いた。

「攻撃は(前へパスできない)ルール上、どうしてもボールが頂点にある。しかし防御は横に広がることも集まって止めることもできる。ラグビーは防御が攻撃を上回る競技だと思っていました」
 
 この革新的ラインディフェンスの誕生以後、グラウンドにスペースと攻撃側の余裕は失われ、華麗な個人技は発揮しづらくなった。「あれがラグビーをつまらなくしましたね」。取材者にそんなふうに語った。以後、日本ラグビーの中核的防御法として浸透していく。
 
 南アフリカにも「前へ激しく飛び出すディフェンス」の流れはあった。筆者がコーチ時代に集めた1970年代の同国の名場面集の映像にも、まるで同時代のジャパンのような勢いでタックルを仕掛ける瞬間が見られる。「白人(そのころのスプリングボクスや地区代表はみんなそうだった)もこんなに飛び出すのか」と驚いた。現在のスプリングボクスの「前へ前へ」とも切り離されていない。
 
 大昔の日本の大学生は、好敵手(明治大学)が総じて体格や足の速さや身体能力に優れていたことで打倒のために前へ出ようとした。近年の南アフリカ代表は、巨漢怪力の自軍FWの側に相手のアタックを仕向けようと外から内へ追い込み前へ出る。時代も事情も異なるが「自分のチームはどうするのか」という思考の源流は重なる。

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