国内
2019.01.10
【コラム】よき人の花園
■「損得」に傾きそうなのに、踏みとどまる。きっと将来に生きる。
男として。男らしく。危険な言葉だ。女として。女らしく。もちろん、こちらも。どんなに素直な表現だとしても、そこに「思い込み」の網はかかる。人間は人間である。スポーツの場の「男らしく」のイメージなんて、そのまま女子の試合での「心意気」や「覇気」に重なる。同じなのだ。女子日本代表の誇り、われらが中村知春の気力や活力や使命を貫く力は「人間らしさ」のよき例なのである。
だから、その一言が効いていた。花園準決勝、惜しくも敗れた背番号10の発した。
東福岡高校3年、吉村紘はこう前置きした。
「僕たちは男子校なので」
高校に入って、ラグビー部でいかなる薫陶を受けたのか。そういう文脈の問答だった。
「行動するうえで損得ではなく、いいのか悪いのか、そこを基準とするように教わりました。僕たちは男子校なので、男としてかっこいいのか悪いのか、と」
ただ「男として」と話すのと「男子校なので男として」と内輪の基準を語るのは、やはり違う。この日、SO吉村は、桐蔭学園の分厚い防御の壁にもあわてず、ループなど巧みに手数を踏んで、よく崩した。「桐蔭は接点以外でのプレッシャーが強かった」。黒星を喫しての分析も鋭い。またしても花園に年齢不相応の落ち着きのあるプレーメーカーは登場した。そして、複数の記者に囲まれてのコメントに思慮の深さはにじんだ。
1 2