ワールドカップ 2015.10.10

100m走10秒5。栃木・白鴎大学卒FL。ジャパンと戦うアメリカ代表の異色。

100m走10秒5。栃木・白鴎大学卒FL。ジャパンと戦うアメリカ代表の異色。
ラインアウトでも活躍するアメリカ代表アンドリュー・ドゥルタロ。
(写真/Getty Images)

 ワールドカップ今大会の3勝目、通算4勝目を目指すジャパンのプールマッチ最終戦の相手となるアメリカ。同チームはここまで今大会3戦全敗と勝利に恵まれていない。しかし、過去のワールドカップでの日本との対戦は2戦2勝。10月11日(日本時間:12日午前4:00キックオフ)の試合にも必勝態勢で挑んで来るだろう。前戦の南アフリカとの試合では主力を温存したこともあり、最強布陣で挑んで来る。
 ペンシルベニア州生まれも、11歳でイングランドに移住。現在は英・プレミアシップの強豪、サラセンズの中心選手として活躍するFBクリス・ワイルズ主将を筆頭に、国外のトップレベルで活躍する選手も多くいる。体格に恵まれているアスリート揃いで、今大会好調のジャパンといえども、ラクに勝てる相手ではない。

 個性派揃いの選手の中でも異色の経歴を持つのはスピードスター、ジャパンとの試合に右WTBで出場するタクズワ・ングウェニアだ。2007年大会でワールドカップにデビューし、同大会で優勝した南アフリカの世界的フィニッシャー、WTBブライアン・ハバナを高速ランで置き去りに。そのスピードは、あっという間に世界で知られるようになった。同大会後には仏・ビアリッツとの契約も手にして現在に至る。
 ングウェニアはアフリカはジンバブエの首都、ハラレに生まれた。荒れ放題の母国から脱出するための出口をいつも探すような少年時代を送っていたという。当時のことを尋ねると、本人は「過酷な日々…」と言葉少なにしか答えない。過去について問うことは、彼を黙らせることと同じだ。
 そんな状況を打開してくれたのは、自身の持つスピードだった。ハラレにあるヴァイノナ高で短距離選手として活躍していたングウェニアは100メートルを10秒5で走った。陸上選手として米国・ダラスの大学で奨学金を得るチャンスをつかんだのだ。大学で陸上に打ち込みながら放射線学を学んでいた若者は、自由な時間に好きだったラグビーもプレーする。ダラス・エリア・ラグビークラブでの活動を通して地域のセブンズ(7人制ラグビー)選抜、同国セブンズ代表と階段を駆け上がり、やがて15人制のアメリカ代表にも選ばれた。ハングリーなフィニッシャーに、ジャパンは気をつけなければいけない。

 日本と縁の深い選手もいる。FLで先発するアンドリュー・ドゥルタロだ。フィジーの血を引く同選手は、栃木県小山市にある白鴎大学の出身。関東大学リーグ戦の下部でプレーしていた(同大学時代、現セブンズ日本代表のトゥキリ ロテ ダウラアコと同学年。ともにプレーした)。
 フィジー人の両親は、ともにフィジーのスバにあるサウスパシフィック大学の講師を務めていた(父は社会学と経済学を教え、母は政治学と国際関係学を教えた)。ドゥルタロ自身もフィジーの高校に学び、白鴎大学時代にはU19やU21同国代表に選ばれたことがある(両代表で主将)。2011年大会でのワールドカップ出場も視野に入っていた。しかし夢は叶わず…方向転換した。
 アメリカに渡ったのだ。ドゥルタロは両親がニューヨークに留学していたときに生まれたから、同国のパスポートを持っていた。事は順調に進んだ。まずはセブンズのアメリカ代表に選ばれ、その後15人制でも代表に。いまではバックローとして欠かせぬ戦力となっている。

 ドゥルタロの大学時代を知る人は言う。
「彼は大学1年生の時からレギュラーで試合に出ていて、セブンズでも常にメンバーとして活躍していました。3年生の時には『ドゥルー』のお陰で東海大にも勝てました! 4年生の時にはバイスキャプテンとしてチームを引っ張り、学年関係なしに、みんなに積極的にアドバイスしてくれていた。毎日、お母さんに電話していたのをおぼえています」
 日本語も堪能で、オール栃木でもプレーした好漢。ジャパンの選手同士の会話や日本語でのサインも理解できる。桜のジャージーを支持するファンも選手たちも、気にすべき男である。

PICK UP