常翔学園はなぜスクラムにこだわるのか
高校ラグビーではスクラムトライは存在しない。1.5メートル以上は押せない上に、ゴール前5メートル以内では組まれないからだ。その距離を進めばレフェリーから「ストップ」の声がかかる。
オープン攻撃を促すため、特別ルールが導入されたのは1993年。今から22年前である。それまでは高校生でも押し放題だった。
全国高校大会で、秋田工(秋田)の13回に次ぐ、戦後優勝回数2位の7回を記録するのは常翔啓光学園(大阪、旧校名は啓光学園)だ。ルール改正後6回全国制覇をしている。
試合形式の練習には特徴があった。スクラムのマイボールでは、FWを1.5メートル下がらせ、アタックを始めた。最初から押されることを想定していた。
その分、モールやターンオーバーに時間を割いた。スクラムに重きを置かない。
啓光と同じように競技開始の部分を捨てる指導者、チームは多くなる。どれだけプッシュしても5点は得られない。ならば展開重視となるのは自然の流れである。
その移ろいに同ぜず、今でもスクラムにこだわりを見せるチームもある。
大阪では常翔学園である。
オールドファンには大阪工大高、「コーダイ」の方がしっくりくる。創部は1937年(昭和12)。天理大を卒業した荒川博司が監督就任後、力をつけた。初の全国舞台は1966年。これまで33の出場回数は府内ナンバー1。天王寺、啓光の2位19回を大きく上回る。全国優勝は戦後3位の5回。天理(奈良)、目黒(現 目黒学院)、國學院久我山(ともに東京)、東福岡(福岡)と肩を並べる。
常翔は3時間の練習の3分の1、1時間をスクラムにあてる日もある。
57歳の監督・野上友一はPR、HO出身。注力する理由を話す。
「すべてのFWプレーの要素が凝縮されている。押す、バインド、姿勢…。ラック、モール、タックルにもつながってくる。みんなが重要視しない部分をやったら、圧倒的な力になると思っています」
スクラムコーチはOBでもある53歳の中田章浩だ。4年前の2011年に就任。翌12年度には5回目全国Vに貢献した。京都産業大、ワールドの現役時代はPR、HOとして日本選抜(代表の下)に選ばれた。中田はスクラム不要論に異を唱える。
「押せたらチームは乗っていくよなあ。それに敵ボールを取ったらチャンスやん。もちろん60分に1回あるかないかのことやけど、それに賭けるのが情熱やないの?」
常翔がスクラムに力を入れる理由は、戦略や情緒的な部分のみではない。継承がある。野上は話す。
「強いスクラムを作るのには時間がかかります。10年かかるかもしれない。でもここで途切れさすのではなく、続けて行きたい」
野上は荒川から1986年に監督を引き継ぎ、今年30年目を迎えた。現役時代を含め、強いFWは常翔の基本だった。中田は忘れない。
「高2の時に天理にスクラムを組みに行ったんよ。大学生相手や。2時間以上ずーっと8人で組んどったわ。耳が初めてわいた(内出血して腫れる)。もう泣きまくり。ふとトイメン見たら、大学生も泣いとった」
今、こんな組み合いはない。しかし、死ぬ思いで体得したものは大切に後輩に伝えたい。それが伝統である。
右PRの金沢一希は186センチ、125キロと一際大きい。高校日本代表候補の肩書を持つ3年生は、2人の指導者の意図を理解した上で、厳しさを前向きに捉える。
「スクラムがきついのは入学前から聞いていました。それでも常翔を選んだのは、それ以上にラグビーに対して自由だから。プレーが縛られない。だからしんどい部分があるのは仕方のないことだと思っています」
来年4月、金沢が大学に入学すれば、即スクラムでのコンテストが始まる。
野上、中田を含め、第一列に入った人間の強化方法は見事に一致する。「数を組むしかない」。経験が何よりも物を言う。
金沢の組み合いの絶対数は多い。より高いレベルにはアドバンテージを持って臨める。
その強さは就職にも影響する。トヨタ自動車ヴェルブリッツの副部長で採用を担当する瀬野剛の言葉がある。
「大学生のフロントにさ、得意なプレーは何?って聞くわけよ。そうしたらフィールドプレーって言うんだよなあ。『君さあ、そこは普通、スクラムです、じゃないの?』って言いたくなるんだよね」
フロントローにおけるスカウトの選考基準は明確だ。
そして、その優劣は将来、国同士の勝ち負けに直結する。昨年、JAPAN XVはスクラムを制してマオリ・オールブラックスと接戦をして(18-20)、日本代表はそこを粉砕されてジョージア(グルジア)代表に敗れた(24-35)。
今の勝負も大事。しかし、その先の選手の成長も国の威信も見据えたい。相反する難しい挑戦を常翔は続けている。