コラム 2014.12.05

Nelson Mandela ネルソン・マンデラ(南アフリカ)

[ 竹中 清 ]
Nelson Mandela ネルソン・マンデラ(南アフリカ)

不屈の魂を持つその人は、ユーモアのセンスもあり、ジョークで人を笑わせるのが好きだった。
政界を引退する前年、ある表彰式で彼はこんなことを言った。
「私には、人生において悔やまれることがひとつある。それは、一度もヘビー級ボクシングの世界チャンピオンになれなかったことだ」
若い頃、アマチュアのボクサーだったのだ。確かに、ベルトは巻けなかったかもしれない。しかし、彼はリングよりも過酷な世界でファイティングポーズをとり続け、決して倒れることのなかった、偉大なチャンピオンだった。

2013年12月5日、ネルソン・マンデラ氏が亡くなった。アパルトヘイト(人種隔離)政策の撤廃に生涯を捧げ、南アフリカに和解と融合、自由をもたらした人物。ノーベル平和賞を受賞し、同国初の黒人大統領となった。95歳の生涯を閉じる。

その飽くなき闘いで世界中から尊敬を集め、寛容な精神と威厳のある態度、そして誠実なほほ笑みで、多くの人に愛された。追悼式には90を超える国・地域の元首が集まり、南アラグビー界のスターたちは国民と同じように「タタ(お父さん)」「マディバ」に尊敬と感謝の意を表した。

コーサ族の首長の血を引き、南ア中東部トランスカイに生まれたマンデラ。青年になってからはアフリカ民族会議(ANC)に入党し、非暴力の反アパルトヘイト政策闘争を率いる。弁護士でもあった。
人類の人類に対する犯罪ともいわれた悪法のもと、黒人は住む地域や行ける場所を制限され、隔離された。マンデラは虐げられた人々の政治的な意識を高めるために、黒人だけに義務付けられていた身分証明書を公に焼いて見せたりもした。
しかし1964年、国家反逆罪で終身刑を言いわたされる。
「どこであっても自由への歩みは容易ではない」。勇敢な闘士はのちにそう語ったが、27年以上も収監されながら、決して屈しなかった精神は尋常ではない。ロベン島の厳しい独房生活にも耐え、釈放されたときは71歳だった。

180センチ以上の長身だったマンデラは、姿勢もよくて手も大きく、刑務所内でも、王のような風格があったという。アパルトヘイトを主導し、政治の世界で最大の権限を行使していたのはアフリカーナー(とくにオランダ系白人)だったため、敵に近づくために彼らが話すアフリカーンス語や歴史を学び、見回りに来る刑務所の少佐が熱烈なラグビーファンだと知ると、ラグビーを猛勉強した。相手に敬意を示す。練達の策士が考えた作戦は成功した。話術と笑顔でも魅了したマンデラは刑務所内で敵を味方に変え、磨かれた魔法は社会に出てから最大限の威力を発揮する。

1990年2月11日、マンデラ釈放。黒人は歓喜し、多くの白人は復讐を恐れた。しかし翌日の記者会見で、次の新しいリーダーになる男はこう言った。
「白人も同じ南アフリカ人だ。彼らが身の危険を感じるような事態は望んでいない。この国に対する彼らの貢献に、私たちは感謝していることを知ってほしい」

なんとしても、黒人と白人の融和を成し遂げたい。その秘策として、マンデラはスポーツの力を信じる。
彼が収監されていた間、アパルトヘイトの強化に伴い、国内外からスポーツボイコット運動による圧力をかけられていた南アだが、91年にアパルトヘイト関連法が撤廃され、32年ぶりに五輪に復帰した。南アの白人男性が愛したラグビーもまた、ANCが推し進めた孤立化運動により南アを国際舞台から締め出したが、マンデラは新体制への白人の不安を緩和するため、92年8月、11年ぶりに代表チームのスプリングボックスを再び世界の檜舞台に立たせた。
アパルトヘイトの象徴であるラグビーをほとんどの黒人は嫌っていたが、マンデラは、アフリカーナーにとってラグビーは宗教と同様であることを知っていた。ラグビーを使い、希望ある新国家の建設を目指す。国旗は新しくしたが、国歌は白人の歌と黒人の歌を合わせたものに変え、反対の声は多かったものの、白人が親しんだスプリングボックスのエンブレムは残した。そして、ラグビーワールドカップを自国で開催する。

1995年、歴史が大きく動く。
楕円球の祭典。人種間に大きな溝があった国に、『ワン・チーム、ワン・カントリー』のスローガンが躍った。白人への敵対心がぬぐえない人々に対し、南アの新大統領になったマンデラは、「スプリングボックスを応援してほしい」と精力的に説いて回った。
迎えた開会式。マンデラ大統領は前日のチーム激励の際にもらった緑のキャップをかぶってグラウンドに登場し、大歓声を浴びる。
最大の理解者に守られた選手たちは、国全体のために戦うことを誓い、一生懸命覚えた新しい国歌を誇り高く歌った。チームを後押しする声は日ごとに高まり、快進撃が続いた。
そして、決勝進出。6月24日、マンデラの長年にわたる努力と苦労は実を結ぶ。黒人も白人も、あらゆる肌の国民がスプリングボックスを応援し、ニュージーランド代表との激闘の末、南アフリカは優勝を遂げた。

表彰式、背番号6のスプリングボックスのジャージーに身を包んだマンデラが、大仕事を成し遂げた主将のフランソワ・ピナールに栄冠を渡す。
「ありがとうフランソワ。君がこの国のためにしてくれたことに心からお礼を言います」
「いいえ大統領、あなたがこの国のためにしてくれたことに心から感謝します」
会場は「ネルソン! ネルソン!」の大合唱。ピナールがカップを高々と掲げ、マンデラは笑顔で拳を何度も突き上げた。スタジアムのファンだけでなく、南ア国民4300万人の応援がもたらした勝利だった。

奇跡が起きたその国で、いま、ラグビーを白人スポーツと言う人はほとんどいない。
マンデラの死からわずか3日後、英雄の故郷・東ケープ州で行われたセブンズワールドシリーズで、7人制南ア代表が優勝した。白、黒、ブラウン、いろんな肌色の男たちが笑顔で抱き合い、天国のマディバに届けとばかりに歌を歌い、踊っていた。

(文:竹中清)

ARGUS

ボクシングチャンピオンになりたかったマディバ(『ARGUS』紙)
 

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ラグビー南ア代表は、マンデラが投獄されていた当時の囚人番号「46664」を
ジャージーに縫い付けた(撮影:Yasu Takahashi)

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南アフリカ代表の試合にビデオメッセージを送るマンデラ(撮影:K.Takenaka)

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