自分で決めた引退。そして将来。髙島忍[横浜キヤノンイーグルス]
自分で決めた。
横浜キヤノンイーグルスのHO、髙島忍がプレーヤー人生を終えた。リーグワン2022がラストシーズンとなった。
2015年の入社以来、8シーズンに渡ってプレーした。
最後のシーズンはチームが戦った15戦すべてに出場した。そのうち先発は2試合。試合をしめくくる時間帯を任される信頼を勝ち得ていた。
「(イーグルス在籍期間の中で)いちばん調子もよかったし、楽しかった」と、最後のシーズンを振り返る。
それなのにブーツを脱ぐのは、描いてきた人生の設計図を現実のものとするためだ。
立命館大学から入団後、PR、HOの両ポジションに取り組んだ時期もあった。やがてHOに固定して安定感を増す。
その力を認められ、初めての先発起用を含む5試合に出場したのが7年目だった。
だから翌シーズン(リーグワン2022)の飛躍は、予想できたし、自分でも自信があっただろう。
しかし髙島はシーズン前に「このシーズンが最後」と決意する。永友洋司GMにも伝えた。
ありがたいことに慰留の言葉ももらった。しかし、将来の夢があるから意志を貫いた。
教師になり、ラグビーを教えたい。30歳になるときには、そのための準備を始めていたいと考えていた。
今年8月31日に30歳になる。第一線を退き、未来への準備を進めようと考えた。
「次のステップに行くことを考えれば、年齢的なことを考えないと選択肢が狭くなると思いました」
いま、育成や普及の担当者として、アカデミーや普及活動の準備や指導にあたり、イーグルスを支える。
「指導の現場での経験や、各方面とのコミュニケーションをとる中で、いろんなコネクションもできる。それらが、自分が将来やりたいことにもつながると思います」
指導者への思いは、父が立命館宇治高校のラグビー部の監督をしている姿を見てきたからだ。
自分自身も父の指導を受けた。
リーグワン2022でのプレーが最後になることは、チームの仲間たちも知っていた。
引退試合となったのは、5月8日のNECグリーンロケッツ東葛戦だった。
試合前、田村優主将に促されて先頭でピッチに入る。両親と妻が大分まで足を運んでくれた。
試合が終わると、みんなが労いの言葉をかけてくれた。
「イーグルスでラグビーをやれてよかったな、と思いました」
指導の立場からも、ラグビーの素晴らしさを伝えていこうと思う。
イーグルスは沢木敬介監督が就任して変わった。
指揮官はトップリーグ2021へ向けての準備期間に就任して以来、意識改革を進めた。
受け身ではダメだ。チームを愛そう。
選手たちは自主的に考え、動き始めた。成長のスピードは上がり、チームはトップ4を争うようになった。
「そんなことも子どもたちに伝えられたら、いい影響を与えられるかもしれませんね」
人間の持つ可能性も話したい。
168センチ(100キロ)のサイズながら国内最高峰リーグで戦えたのは、自分の強みを理解し、それを最大限発揮するにはどうすればいいか突き詰めたからだ。
「体格に関係なく頑張ればやれる。小さいからできないということはないんです。なかなか出場機会に恵まれない時は、辞めたいと思ったこともあります。でも、試合に出たい、もっとラグビーをやりたいと思い続けたから、最後はチャンスをつかめました」
自分より21センチ、17キロも大きな南アフリカ代表、クボタスピアーズ船橋・東京ベイのHOマルコム・マークスに「あんなに低いと組みづらい」と言われた。
動き出しをはやく。そして低く。自分の生きる道を明確にして挑めば戦えた。
多くの子どもたちに夢を与える存在だった。
ホストエリアの横浜、セカンダリーホストエリアの大分、練習グラウンドのある町田、会社のある大田区との連携を深める仕事もある。イーグルスとラグビーの魅力を、より多くの人たちに知ってもらうためだ。
グラウンドの外にも自分の力を発揮できる持ち場を見つけ、髙島は充実した日々を送っている。
未来の空は明るい。