号泣しながら食べたアイスクリーム。桑井亜乃(元女子セブンズ日本代表)、引退とレフリー挑戦を語る
ラグビー人生の前半は、夏の太陽みたいだった。
ぐんぐん高くのぼり、光り輝いた。
女子セブンズ日本代表として32キャップを持つ桑井亜乃は、本格的にラグビーを始めて1年で日本代表になり、5年目にはリオ五輪に出た。
ラグビー人生の後半は、「自分にクソッ」と思うことの繰り返しだった気がする。
リオ五輪の翌年も走り続け、アップダウンはありながらも、2018年8月にインドネシアで開催されたアジア競技大会まではサクラのジャージーを着た(金メダル獲得)。
しかし、今夏の東京オリンピックへの出場は叶わなかった。
8月31日、現役引退を表明した。
中学時代は砲丸投げ、帯広農高、中京大と円盤投げの選手として活躍。大学の授業でラグビーと出会ったことがきっかけで、教員志望を変更する。Rugirl-7、アルカス熊谷と、楕円球一色で過ごした生活を終えた。
引退と同時に、レフリーとして2024年のパリ五輪を目指すことも発表した。
22歳でラグビーを始めてから約9年半。引退の理由は「やり切った」からだ。
2度目の五輪出場を最後の最後まで目指した。そのチャレンジが終わったとき、自分の中に走り続ける気力も体力も残っていないことに気づいた。
太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2021の今季最終戦(6月26日、27日)、鈴鹿大会の3位決定戦がラストゲームになった。
6月19日には、東京五輪に出場するサクラセブンズのメンバーが発表されていた。
「引退を決めていたわけではありません。大会が終わった時にどんな感覚になるかな、と思っていました。しばらく経って、もう力が残っていないことに気づきました」
今季の太陽生命セブンズの第2戦、静岡大会の初戦で頬骨を骨折したものの、そのままプレーを続け、次の熊谷大会にも出場した。
五輪メンバーに選ばれる可能性が少しでもあるのなら、ピッチに立ち続けていないと奇跡は起きないと考えた結果だった。
選ぶ人たちは、きっとこっちを見てくれている。代表から外れても、いつもそう信じて生きた。
代表生活の終盤、遠征メンバーには選ばれても、バックアップメンバーのまま終わることが何度かあった。
せっかく出場メンバーに選ばれたのに、直前に体調を崩して出場機会がなかったこともある。
もがいた。
迷わず前に出ていたリオ五輪の頃の自分に戻るにはどうしたらいいのか。あのときの自分を超えるには何が必要なのだろう。新しい武器を持たないといけない。
そう考え、体を絞り込んだこともあった。食事に気を配り、アスリートフードマイスターの資格も取った。
2018年のワールドカップ・セブンズのメンバーから外れたときのことを思い出す(バックアップメンバーになる)。
落選を知らされた後、当時サクラセブンズを指導していたレスリー・マッケンジー コーチ(現15人制代表ヘッドコーチ)が「あなたが頑張っているのは知っている。こんな時ぐらい好きなものを食べようよ」と言ってくれた。
「一緒にアイスクリームを食べました。号泣しながら」
自分を見てくれている人がいた。嬉しくてたまらなかった。
辛い結果を受け取るたびに、「自分にクソッ」と思うことで、切り替えてきた。
その瞬間から、ピッチに立てない自分にだってチームのためにできることはあると考え、動くようにした。
代表に入れず沈んだ気持ちで合宿から戻っても、自チームでは落ち込んだ姿を周囲に感じさせることはないように振る舞った。
痛みと弱みを見せない生き方を信条としてアスリート生活を送った。
リオ五輪の翌年、代表選手の責任感を背負って戦い続けていたとき、何度も吐き気に襲われた。五輪前年の予選の頃から重圧の連続だった。精神的疲弊が続いた結果だった。
今年の頬骨骨折をはじめ、ケガも絶えなかった。
それでも、自ら休みたいと言えばチャンスを放棄するようで、いつも平気な顔をした。
「知春さん(中村主将)なんて、もっとヒドイ状態だと思いますよ」
そう言って笑い飛ばす。